慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

伯母をお浄土へ見送る

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 お盆が終わってボンヤリと痛んだ膝を撫でていたら、伯母が亡くなったと知らせを受けました。最近、大分弱っていたので、近々お見舞いにいきたいと思っていたところでした・・・・会いたいという気持ちになったときは、ともかく最優先で会いに行かなければいけませんね。私が僧侶になったことを何より喜んでくれた伯母だったのに・・・

 伯母は法華系の新宗教の熱心な信者だったので、その信仰仲間がお通夜をしてくださるとのことでした。私は略衣を着て、一応葬儀用の衣や袈裟も持っていきました。読み下し文にした法華経を読み上げるだけのシンプルなお通夜もなかなか良いものでした。法華経のパワフルな内容が心に響いてくるからです。私たち浄土系の僧侶もお経を暗記して早く読誦することより、内容をわかりやすく伝える努力も必要だと思いました。

 お通夜が終わり、当然翌日の葬儀も信仰仲間の方がしてくださるのだと思ったら、「明日は私たちは参列しません」と言われたのでビックリ。どうやら、伯母の属していた宗教団体は、それぞれの信者がもともと属していた菩提寺を否定したり、仏壇を廃棄させたりはしないらしい。葬儀は菩提寺から和尚さんを呼んでください・・・という方針のようでした。少し驚きましたが、それも一つの考え方です。「法華経が最高、最終のブッダの教え」と考えるので、全てをカバーしているということなのでしょう。ですから、僧侶がどのお経を称えても良いということかな?

 それでは・・・というわけで、私が衣をつけ、『浄土三部経』で伯母を送り出しました。葬儀を独りで全て行ったのはこれが初めて。「私でしっかり練習しなさい」という伯母の最後の贈りもののような気がします。

 やはり生きているうちに会いに行くべきだったと今、少しずつ哀しみが深まっています。

◎今日の写真はカナディアンロッキーのコロンビア大氷原から流れ出している氷河です。

 

 

8月21日(日曜)の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

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 8月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は私たちに最も身近な菩薩さまである地蔵菩薩について改めて学んでみましょう。慈雲寺でも墓地の入口にお祀りしているお地蔵さまはいつでも人気です。お墓参りにやってきた子供たちも必ず手を合わせてくれます。  地蔵菩薩は地獄へまでも降りて行き私たち迷える衆生、とりわけ子供のうちに亡くなってしまったり、生まれる前に亡くなってしまった水子たちを護ってくださるといわれています。

 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は8月21日日曜日、10時より行います。どなたでも歓迎いたします。無料。

 

 また、8月24日は地蔵盆です。地蔵寺では特別な行事はいたしませんが、子供たちのために本堂の入口にお菓子を用意しますので、ぜひお参りにいらしてください。

 

 

 

◎公共交通での慈雲寺へのアクセス

 

 

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。

 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。

   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。

●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分

●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます。

◎今日の写真はウズベキスタン仏教遺跡で発見されたお釈迦さまのお弟子の石像です。

“一族郎党”でお墓参り!

 

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昨日はとても嬉しいことがありました。午前中の棚経から、ちょっとヘロヘロになって戻ってきたら、慈雲寺の墓地にもたくさんの方がお参りにいらしていました。

 「本堂に麦茶がありますので、どうぞ一休みしていってください。」とお墓参りの方に声をかけました。しばらくすると本堂から楽しそうな声が聞こえてきました。

 なんと20人近くの方が本堂に上がってくださっています。慌ててお茶碗と追加の麦茶を運びました。どうやら、お盆でご本家に集合した「一族」の方々がご一緒にお墓参りにいらしたようです。

 これぞ、私の理想!!一族の「刀自」のような風格のあるおばあさんから小学生の子供まで、本当に楽しそうに談笑しているのです。いいなぁ・・・こんな楽しいお墓参りの思いでがあったら、子供たちが大人になったときに、「お墓を護っていこう!」と考える人がきっと出てくることでしょう。

 お寺参りやお墓参りが楽しい、心豊かになれる体験になるようにお手伝いするのがお寺の役割ですね。

 どうぞ、これからもこんな風に、お寺を「楽しむところ」、「癒しの場」として利してください。そのために、慈雲寺の本堂は昼間、いつでもお参りしていただけます。夏は麦茶、冬はお茶をご用意してあります。どなたでも一休みなさってください。

 阿弥陀様と向き合ってゆっくり祈るのもよし、手ぶらで写経をしていただける用意もしてあります。

◎今日の写真は愛知県の西尾市の旧市街の町並みです。なんだか江戸時代みたいですね。

蓮の花を生ける

 

 pf:id:jiunji:20160812154529j:plain   お盆の支度で慈雲寺の開山上人や歴代上人のお墓や境内の供養塔、お地蔵さまなどのお花を替えました。お花を供えるのは、いつでもとても嬉しいことです。真夏にはこまめに水を替えても、花はすぐに元気がなくなってしまいます。新しいお花をどんどん変えたいところですが・・・・なかなか思うようにはいきません。慈雲寺のお隣の花屋さんが、慈雲寺の状況を知って、だいぶおまけして下さるのですけれどね・・・・

 でも、今日は思い切ってきれいな蓮の花のつぼみを二本買いました。山門の前に生けたのですが、うまく開いてくれたら嬉しいのでけれど・・・・

 私たちはお浄土に生まれるとき、蓮のうてなに生まれると言われています。当麻曼荼羅という極楽の様子を詳細に描いた曼荼羅には、蓮の花から生まれたばかりの赤子が嬉しそうに踊っているのが描かれています。でも、すべての蓮が開いているわけではありません。生きている間に十分な功徳を積まないと、せっかく極楽へ生まれても、なかなか蓮の花が開かないとか・・・・う~ん・・・そうかなぁ?私もそうとう長く蓮のつぼみの中にいなければならないかも?

 少しずつでも仏さまの教えに導かれた生き方をしていきましょう。

◎今日の写真は、京都府長岡京市の柳谷観音の書院から見たお庭です。

お寺参りの時は、子供にも「サンデースーツ」を着せてあげてはどうでしょう?

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 先日、ご近所のお寺で行われたお施餓鬼の法要に、若い方や子供たちが参列していたのを嬉しく思ったというお話しを前回書きました。

 実は、その時に思ったことがもう一つあったのです。法要に参加していた大人の方のほとんどは、喪服としても着られそうな黒系のセミフォーマルな装いでした。やはり、法要に参列することが「公式」の行為と考えられているからでしょう。

 一方、小さな子供や高校生ぐらいまでの生徒も何人かいたのですが、服装はまちまち。家でくつろいでいたのに、そのまま連れてこられた・・・という感じの子供がほとんどでした。でも、一人の女の子の服装がとても印象的でした。おそらく幼稚園の年長組ぐらいでしょうか。上下とも黒の単色。でもブラウスはかわいらしいフリルがついていて、スカートもフンワリ。これなら黒色でも喜んで着たのではと思います。こんなデザインで真っ黒というのは「おしゃれすぎる」感じですから、ひょっとしたらお母さんの手作りかも?

 カナダのキリスト教徒の家庭では、子供たちに「サンデースーツ」と呼ばれる服を用意します。日曜に教会へ出かけるときの、ちょっと大人っぽいカッチリしたデザインの服です。男の子はスーツもどき、女の子もスカートは少し長めです。

 このサンデースーツに着替えることで、「教会へ行く」というのが特別なものになるのでしょう。

 お子さんたちが法事に参加するときは、ぜひ、この「少し大人っぽい、渋い色合いの服」を用意してあげてください。どんどん成長するのですから、高い素材やブランド品である必要はないですが、「きちんとした服装でお参りをする」という習慣を子供の時からつけてあげるのは、子供の自信にもつながると思います。

 ただし、ふだん「お寺に遊びに来る」ときは、どうぞ気軽な服装できてくださいね!「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」の時も同じです。ぜひ気軽な普段着でおいでください。気軽にお寺に立ち寄るときと、きちんとした宗教行事に参列するときの、「ハレ」と「ケ」の区別を暮らしに残したいものです。

〇今日の写真は京都の寺町にある誓願寺の扇塚。芸事の上達を願って、使い終わった扇を供養する塚だそうです。

お施餓鬼のお手伝い

 今朝は英語の朝起会を早めに終えて、ご近所のお寺のお施餓鬼に役僧としてお手伝いに行きました。私は残念ながら、お仏壇のない家で育ちましたから、家族と施餓鬼法要に参加した記憶がありません。今日の法要にはお年寄りばかりでなく、小さなお子さんをつれた御一家でお参りしている方が何組もいらして、「こんな環境で育つ子供は幸せだなぁ・・・」と思いました。

 施餓鬼とは、地獄へ落ち、餓鬼道にまよって苦しむものたちへ水や食べ物を供養する法要です。餓鬼一般を広く供養するものですから、大きな功徳があるとされています。

 最近はお盆の前後に先祖供養の一つとして行う寺院が多いのですが、本来、お盆とは直接関係はなく、いつ行なっても良いのです。毎日施餓鬼をする寺院もありますし、食事をするとき、ごはんを少しお膳の角において、それを餓鬼への供養とする習慣もあります。

 今日のお施餓鬼では、たくさんの方が塔婆を供養していました。どれも「〇〇家先祖代々」とか、特定の方の供養を願うものでした。施餓鬼の大きな功徳をこうした祖先への供養の向けるのですね。でも、施餓鬼の時は、普段供養を受けることができない方たち(例えば、家が絶えてしまって先祖供養をする人がいないとか、戦場で行方不明になったままの人など・・・)の御供養もしたいものです。

 そう思いながら陀羅尼を読誦していました。

〇今日の写真は京都府長岡京市の乗願寺の大仏(おおぼとけ)さんです。

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原爆の日に

 

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「狂おしい 狂おしきかな 原爆ドーム

 今朝の中日新聞に掲載されていた、高校生の俳句です。修学旅行で原爆ドームを見学し、語り部の方から体験談を聞いて詠んだものだそうです。

 広島に原爆が落とされてから71年目です。私たちは、人類の歴史の中でこの最も残虐な大量殺人兵器のことを決して忘れてはいけないでしょう。私たちは、戦争がいかに愚かで悲惨なものか語り継ぐ義務があると思います。

 今、私たちがまた「戦争のできる国」に向かっていることを思えばなおさらです。

 今日は一日、原爆の被災者の冥福を祈りながら過ごしました。