慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

福岡へ巡教に

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 巡教というのは、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)のトップに立つ御法主の「おことば」を末寺の檀信徒の方々にお伝えする使者として幾つかの寺院を巡ってお説教を行うことです。

 巡教に呼ばれるということは、説教師としてとても大切なお役ですから、とても緊張します。原稿を作って何度も声に出して読んだり、練習もするのですが・・・いざ、檀信徒の方々の前に立つとなかなかうまくいきません。

 巡教の説教は、御法主の「おことば」の内容を解説することが第一の目的です。私はついつい「解説」というところに力が入ってしまい、なんだか授業のようになってしまうのです。

 お説教は「娯楽」ではありませんが、ところどころで笑いが入り、聴いて下さる方々がリラックスして心を開いていただくことが大切です。

 今回は、お十夜の法要の後で私が壇に上がるということになりました。九州では、その年に家族や友人が亡くなられた人のために、和讃を詠って回向をおこなう「初十夜」という宗教的慣習があります。

 このような慣習があることを私は知らなかったのですが、近しい人をお浄土へ送ったばかりの方々の心に哀愁あふれる和讃がしみ込んでいく様子がうかがえました。

 そんな雰囲気の中でもお説教でしたから、いつもにもまして言葉の選び方には慎重にならなければいけないと思い、いつもなら少し冗談めいたお話しもするのですが、それも憚られます。う~ん・・・とても難しかった。

 二番目のお寺では、シーンと静まりかえってしまい、内心焦る私・・・・まだまだ、準備が十分でなかったということですね。反省しきりです。

◎今日の写真は、近江八幡の古い家屋に使われているステンドグラス。テーマは七福神でしょうか?

11月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマは「般若心経入門その2」です。

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 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は11月27日の10時より行います。

 テーマは先月に続き、『般若心経』の基礎を御一緒に学びましょう。

 『般若心経』は、最もよく知られている経典の一つです。耳なし芳一の体に和尚さんが書き込んでくれたのもこの経文。

 この経典について書かれた本もたくさんありますし、現代語訳もいろいろ。たった本文266文字しかありませんが、内容は膨大な『大般若経』のエッセンス。大乗仏教の根本的な教えがたっぷりですから、内容に簡単に触れるなどというのは私のようなヘッポコ尼僧には・・・百年早い??

 でも、ほんの少し、頑張ってみようと思います。

どなたでも歓迎いたしまうので、ぜひご参加ください。

◎公共交通での慈雲寺へのアクセス
 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます。

◎今日の写真は近江八幡の旧市街。江戸時代の雰囲気が漂っていますね。

 

ハラールの玄米茶ティーバッグ

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 先日、出張したときに泊まったビジネスホテルでの出来事です。部屋に供えられた玄米茶のティーバッグの袋の裏を何気なく見たら、日本イスラーム文化センターのHALAL認定証が印刷されていました。このお茶がハラールであることを認定した印です。

 ハラール(ハラル)は、イスラム教において「神に許された」モノや行為のことをいいます。反対に許されていないものはハラーム(ハラム)といいます。嘘をついたりを盗んだりするのはハラームです。食べ物にもハラームはたくさんあります。

 イスラム教の場合、豚は最も忌むべきハラーム。豚肉やその加工品を食べてはいけないのはもちろん、一度でも豚肉を調理するのに使った鍋やフライパンで調理したものもハラームになってしまいます。

 お酒もハラーム。厳しく解釈すれば、発酵途中でアルコール分が生まれるミソや醤油などもハラームになってしまいます。

 ホテルの玄米茶の場合、原料も加工のプロセスの間も、ハラームに当たることとは一切無関係だと認められたという認証です。

 ハラールやハラームについての認識は、だんだん広がっているようで、成田空港の中のうどん屋さんにもハラール認定の認定証が掲げられていたのでびっくりしたことがあります。

 私は比較宗教学を少しかじったので、他の宗教の考え方や慣習、行事などにとても興味があります。宗教を知ることは文化を知ることだからです。

 もちろん、仏教にもさまざまな禁忌があります。飲酒も五戒という最も基本的な戒めで禁じられています。神道でも、祭りの責任者に選ばれたものは肉食を絶たなければいけないと定められた神社もたくさんありまります。

 一般的に、日本では食べ物に関する宗教的な禁忌には寛容です。それは日本人の宗教的文化の特徴の一つでもあるので、私はこの「ゆるゆる感」をそれほど悪いものだとは思っていません。

 しかし、厳しく食物禁忌を守ることが、非常に重要な宗教もたくさんありますから、それを尊重することはとても大切です。「少しぐらいいいじゃないか・・・」とイスラム教徒に豚肉やお酒を勧めたりするのは論外だし、失礼の極みです。

 外国の方を迎えるときには、特に注意したいものです。率直に「何か禁じられている食べ物はありますか?」と聞いてみるのがおすすめです。

 ちなみに、神に許されたハラールの玄米茶は美味しかったですよ。

◎今日の写真は近江八幡の瓦焼きの技術を生かした花器です。近江八幡は瓦で有名ですが、伝統的な瓦の需要は下降を続けているようです。しかし、瓦製造の技術を使って新しいものを生み出す努力もされているようで、この花器もとても魅力的でした。

 

 

ご詠歌に聞きほれる

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 ご詠歌は、仏教の教えや功徳、人間の命のはかなさや無常を七五調に詠んだものに旋律を付けて歌うものです。日本では平安時代から伝わる仏教芸能の代表的なものの一つです。

 真言宗臨済宗の寺院ではよく詠われているようですが、慈雲寺の属する浄土宗の西山派(西山浄土宗)にもその伝統が受け継がれています。

 私に出家の機会を与えてくださった最初の師僧である橋本隨暢師は、西山派を代表するお説教師ですが、同時にご詠歌(和讃)の指導者としても知られていました。

 しかし、愚かな私はすぐそばで本格的なご詠歌を聴くチャンスが何度もあったのに、その良さが全くわかりませんでした。もうこれは「愚か」としか言いようがありません。「猫に小判」というのはこのことでした。

 今日、ある法要に出席したのですが、そこで久しぶりにご詠歌を聴きました。その法要は、今年、家族の一人を極楽へ見送った方々が集まって回向をする「初十夜」でした。

 この法要では、人の命のはかなさを説くご詠歌が次々と一人の僧侶によって詠いあげられていきます。

 初めて、本当に初めて、ご詠歌が私の心の中にじんわりと広がっていきました。今までのご詠歌というと、詠唱会のようにたくさんの方々が一緒に詠う場ばかりだったのですが、ソロで詠うというのが新鮮だったのでしょう。

 ご詠歌は、お経と違い、和語で仏教の教えが説かれます。詩ですから、表現も豊かで美しくも哀しい言葉が続きます。

 せっかく橋本師のすぐそばにいたのに・・・今夜は、本当に残念な気持ちで、師僧を偲んでいます。

◎今日の写真は近江八幡八幡山の頂上から眺めた琵琶湖です。八幡山は秀吉に無理やり自害させられた豊臣秀次のお城があったところです。秀次はどんな思いで琵琶湖を眺めていたのでしょうか。

 

往く人の母は埋もれぬ日の丸に (作 井上白文地)

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 タイトルの俳句は、1940年代、日本が第二次大戦になだれ込もうとしているとき、それに抵抗して白文地が詠んだものです。

 「駆け付け警護」を容認する閣議決定が行われたという記事を読んで、思い出した情景があります。先日、新幹線に乗っていたとき、ホームで私服の女性が綺麗な敬礼をして列車を見送っている姿が見えました。おそらく、列車のドアの内側には自衛官が立っていたのでしょう。あの敬礼から見ると、彼女も自衛官でしょう。

 恋人を見送りにきたのかなぁ・・・いや、私服で恋人同士なら敬礼しないよね。しかも、彼女の姿が真剣すぎました。表情も硬くて、私が窓から見ているのに気が付いても照れくさそうにさえしませんでした。

 まるで、戦争に出征する人を送るみたいでした・・・・もしかしたら、スーダンへ行く自衛隊員の見送りだったのかも・・・・。

 「戦死」の可能性もこれからは否定できない今、彼女の真剣なまなざしが心に残りました。

 仏教はいかなる理由があっても「殺生」を認めません。「正義」という御旗を振り回しても、そんなものには実体はないし、立場によって全く違う「正義」がいくつもあるからです。

 あの女性が見送った人が、もしスーダンへ行くのなら、無事に帰国されることを祈らずにはいられません。「駆け付け」のタイミングよりも、「撤退」のタイミングを適切に判断できる指揮官のもとに属せると良いのですが・・・

◎今日の写真は。近江八幡のカフェの窓です。その日の取材を終えて、ホッとしたとき、まどの光がとても美しく見えました。

巡教のお説教の準備(その2)

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 先日から巡教のお説教の準備をしています。お話しする通りの原稿をいったん書き、それを何度も声に出して読み、時間を確認します。

 いったん頭に入ったら、お経や書物からの引用文、人名、年号など、間違えてはいけないものだけを話の流れに合わせてメモ書きしたものを別に作ります。

 原稿とそのメモをもってお説教台に上がりますが、ほとんど見ないでもすむように練習しておきます。しかし、その日に聴きにいらしてくださった方々の様子、天気、お説教をするお寺の雰囲気などに合わせて、話の内容を調整していくことも大切です、何が何でも準備していたお話しをするというふうに固く考えない方が良いと、先輩のお説教師に教えていただいたことがあります。

 お説教の日の直前に大きなニュースがあったときなど、それを話題に取り上げたりすることも必要です。

 お説教で大切なことは、何か一つでも良いから「お土産」をもってかえっていただけるようにすることです。前回もお話ししたように、お説教は、させていただく私にとっても大切な修行。上から何か「与えてやる」とか文字道理「教えを説く」のではなく、お釈迦様の教え、お祖師様の教えをともに喜ぶことが大切だと思いながら準備してます。

 今回は命の大切さ、危うさ、死ときちんと向き合うことの大切さをお話ししたいのですが、「死」をテーマにすると、重すぎる、つまらない、かえって心に残らない・・という恐れもあり、いろいろと逡巡してしまいます。

 近しい人を失ったばかりの人に慰めになるようなお話しでありたいとも思うし・・・う~ん・・・直前まで悩みは続きそうです。

◎今日の写真は、昨日、近江八幡八幡山で撮った紅葉です。山頂付近には、鮮やかに紅葉した木々が所々にありました。紅葉のトンネルを抜けると向こうには素晴らしい琵琶湖の風景が!

 

巡教のお説教の準備 (その1)

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 今年は九州に巡教に行かせていただけることになりました。この「巡教」というのは、慈雲寺が属する、浄土宗西山派西山浄土宗)の御法主が毎年お正月に発表なさる「お言葉」を末寺の檀信徒の皆様にお伝えする役割です。その「お言葉」を基にしてお説教を組み立て、お言葉の解説をすることになります。

 例年、「お言葉」は500字ほどの短いものですが、なかなかに奥が深いのです。御法主のお気持ちを私自身の言葉に置き換えるのはとても難しく、かみ砕き過ぎて格調や味わいを失ってな何にもなりません。

 特に今回は、お十夜の法要の場にうかがうことになっていますので、「お十夜」の意義と結び付けてお話しする必要があります。さらに(!)難しいのは、今回、巡教に回らせていただく地域では「初十夜」という宗教的な慣習があることです。その年に新たに亡くなられた方のご家族が、初めて迎えるお十夜が「初十夜」です。

 近しい家族をお浄土へ見送った方々にどんなお話しをしようかと、巡教が決まってからずっと考えています。「命」の意味、「生きる」ことと「死」との関係、身近な方の死から見えてくるもの・・・・などなど、お伝えしたいことはたくさんあります。しかし、いたずらに哀しみを深めてしまうものではいけないでしょう。

 聞く人の心が穏やかになり、亡くなった方の御供養に気持ちが向き、それがやがて生きる力になるようなお説教をしたいものです。いやいや・・・・あまりに「狙い」を定めるようなお説教は真実から離れてしまいますね。

 私も今年は伯母を亡くしています。私にとっても「初十夜」なのですね。伯母への思いを通して、私が何を感じたのかを素直にお伝えしようと思い始めています。

◎今日の写真は、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺の紅葉です。この写真は数年前のものです。今年は少し紅葉が遅めの気がしますが、ここ数日冷え込んでいるので、グッと進むかもしれません。