慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

温かい黒豆茶を召し上がれ

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 いつの間にか台風は通り過ぎたのかと思っていたら、少し前から強い風が吹き始めました。ゴーゴーと不思議な音がします。屋根の瓦たちよ頑張れ!

 今朝の気温は二十度以下。慈雲寺では、お参りに来て下さる方々のために、本堂の入り口に、いつもお茶を用意しています。夏の間は、黒豆入りの麦茶を作っておいておきましたが、今日は冷たい麦茶という感じではありませんでしたね。

 買い置きしてあった黒豆茶を煎じて、温かいお茶にしました。黒豆茶ポリフェノールたっぷりで健康にも良いとか。口当たりも柔らかです。

 こうして、少しずつ季節が変わって行くんですね。ついこの間まで、エアコンのない部屋で眠るのは哀しすぎる・・・とか、バンクーバーだったらこんなに湿度に苦しまないのに・・・とか不平たっぷりだったのですが、こんな風に一挙に気温が下がると何だか寂しい。

 勝手なものですね。

 今日は一日、来週から始まるお彼岸のお説教の原稿を整理して、要点をまとめる作業をしていました。黒豆茶を飲みながら・・・・

 慈雲寺では、本堂の扉が開いているときは、いつでもお入りください。お茶を飲んで一服して下さっても良いですし、阿弥陀様の前で静座してみるのもお勧めです。

 写経の用意もしてありますので、どなたでもお気軽にお参りください。

◎今日の写真はアゼルバイジャンで見たお椀です。

お説教の準備で四苦八苦

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 お彼岸は、多くのお寺で彼岸会の法要が行われます。その時に、住職以外の僧侶を招いてお説教をしてもらうお寺も少なくありません。お説教に特化して習得している僧侶を布教師とか説教師と呼びます。

 私も布教師の資格をいただきました。いくつかの段階があるのですが、私はまだ下から二番目の準讃教。まだまだ半人前にもなっていませんが、時々、説教師として特別な法要や行事に呼んでいたけるようになりました。

 通訳もそうですが、説教師はともかく場数を踏み、実際に人前でお説教をさせていただく経験を積まなければなりません。ですから、お説教に呼んでいただくだけで、本当にありがたく思っています。

 今年のお彼岸には、九州の小倉や宗像市周辺のお寺が、お彼岸のお説教に呼んでくださいました。特に、今回は「巡教」と呼ばれるお役目をいただいています。

 慈雲寺の属する浄土宗の西山派(西山浄土宗)のトップに立っておられるのが、御法主猊下であられる哲空上人です。毎年、年頭にあたって御法主は「お言葉」を全ての僧侶、檀信徒に向けて発せられます。この「お言葉」を持って、各地のお寺を訪ね、お言葉を檀信徒にお伝えし、わかりやすく説いていくのが「巡教」です。

 私のようなヘッポコ僧侶でも、巡教の時は御法主の名代。それなりに丁寧扱っていただけます。それだけに期待も大きい。

 何度も原稿を書き直して、苦しんでいるところです。結局は素直に自分の受け止めた「お言葉」をお伝えしようというところに落ち着くのですが、そこへたどり着くまでは四苦八苦です。ああ、今日も夜中になってしまいました。

◎今日の写真は京都の柳谷観音でみた蹲です。

 

慈雲寺にお墓をお持ちの方々への彼岸法要のお知らせ

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 お彼岸が近づいてきました。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、季節の変わり目にご先祖とのご縁を深め、人生についてゆっくり考えてみる良い機会がお彼岸です。

 慈雲寺では、春と秋のお彼岸の期間中、『観無量寿経』に説かれた彼岸(極楽)の様子を描いた「當麻曼荼羅」の御開帳をいたします。どうぞ、近くで極楽の美しい姿をご覧ください。

 さて、9月23日の11時から、慈雲寺にお墓をお持ちの方々のために、お彼岸の法要をいたします。どうぞ平服でお気軽にご参列下さい。

 遅くなりましたが、今日、この彼岸会のお知らせを発送しました。当然、もっと前に出さなければならなかったのですが、事務能力が極端に劣る上に、苦手なことを後回しにするという、僧侶にあるまじき性格なので、なかなか実行できませんでした。

 急なお知らせで、ご予定もおありかと存じますが、ぜひご参加下さいませ。

 法要後は茶菓をご用意いたしますので、日ごろ慈雲寺や墓地についてのご意見、ご希望などございましたら、お聞かせいただければ有難くぞんじます。

 

小学二年生に「お寺って何?」を説明できるかなぁ??

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 先日、ご近所の小学校の先生からお電話がありました。二年生の授業の中で、近隣のお店や施設などに見学に行き、そこで何が行われているのか説明してもらうという「社会体験」のカリキュラムがあるそうです。その一つとして、慈雲寺を見学したいそうなのです。

 お寺ではどんなことが行われており、僧侶というのはどういう役割なのか説明するらしいです。う~ん・・・お寺に子供たちに来てもらうのは大歓迎!子供の時に、お寺や神社にお参りした経験は、必ず子供の人生を豊かにすると思うからです。

 しかし!二年生・・・・いったい、二年生にどんな風に説明したら、僧侶の役割を説明できるのでしょうか?

 中学生だったら、「僧侶はライフスタイルであって、仕事ではない。なぜなら、労働と対価の関係が成立しないからだ。」

 「僧侶の行う読経や儀式、お説教などは、修行であって仕事ではない」なんてことをたっぷり説明したいところです。ひょっとしたら、これをきっかけに仏教に興味を持ってくれる子もいるかも???

 しかし・・・二年生はなぁ・・・あと、一か月ぐらい猶予があるようなので、ゆっくり考えてみることにします。

 良寛さまなら、なんておっしゃるかなぁ?

◎今日の写真は秋晴れの空にたなびくカナダ国旗です。

派手な阿弥陀様 Part2

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  先日、上野の東京国立博物館で出会った、チベットの「無量寿仏」の仏像です。チベットの仏像はきらびやかな飾りをたくさん纏った方が多いのですが、無量寿仏がこんなに派手なのは初めて!ビックリして、展示ケースのガラスにおでこをぶつけてしまったほどでした。

 慈雲寺は浄土宗の西山派(西山浄土宗)に属しています。お寺の中心にお祭りしている御本尊は阿弥陀仏阿弥陀如来)です。仏(如来)は、悟りを開かれた存在ですから、仏像は普通シンプルで、衣が体の線に沿って美しい曲線を描いているだけです。

 阿弥陀仏阿弥陀というのは、この仏様のサンスクリット語の音「アミターバ」または「アミターユス」の音を漢字に当てはめたものです。「阿弥陀」の字自体に意味はありません。

 サンスクリット語の意味は、「アミターバ」は「量りしれない光明をもつもの」、「アミターユス」は「量りしれない寿命をもつもの」です。このことから、阿弥陀仏を「無量光仏」、「無量寿仏」ともお呼びするわけです。

 今回拝ませていただいたのは「無量寿仏」でした。17~18世紀に造られたもののようです。仏像の前に置かれていた解説を読むと、チベットでは阿弥陀仏に二種類あって、極楽浄土の教主は「無量光仏」、その化身を「無量寿仏」としているそうです。そして、無量寿仏は菩薩の姿で現されるのだと書かれてありました。

 菩薩さまは、悟りの境地の入れるほど修行が進んでいるのに、あえて菩薩の位にとどまり、私たち凡夫を救うために私たちのそばにいて下さる尊い方々のことです。阿弥陀様があえて、菩薩に化身されて現れて下さるなんて嬉しいなぁ・・・しかも、こんなにきらびやかでパワフルな感じで!

 もっとも、観音菩薩勢至菩薩も、皆、阿弥陀様のお慈悲の現れ、化身だと法然上人もおっしゃっていますけれど・・・・

 ガンダーラの仏像やタイの仏像もそうですが、いろいろな地方の様々な様式の仏像を拝めるのはとても嬉しいことです。本当は、一つ一つの仏像に、ちゃんと手を合わせて拝みたいのですが・・・人がたくさんいる展覧会だと、ちょっと恥ずかしい・・・う~ん、仏像を拝むのが恥ずかしいわけはないのですが・・・

 

派手な阿弥陀様!Part1

 

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所用で東京へ行ってきました。名古屋へ戻る前に、少し時間があったので上野で寄り道。私は人気のある特別展をやっていないときの東京国立博物館が好きです。常設展を行っている本館は、建物もクラシカルで、展示方法も「最新」ではありません。そこがかえって味わいがある。「常設」だと思えば、最初から最後まで全部見なければ!というプレッシャーもないし・・・本当は、常設展といっても全部の所蔵品が展示されているわけではありませんから、展示物との出会いは運しだいなんですが・・・

 今回の目的は国宝の特別展示室で出ていた一遍上人の伝記を描いた絵巻物です。国宝の展示は毎月変わるので、めったに出会えません。

 慈雲寺は浄土宗の西山派(西山浄土宗)に属しています。宗祖は法然上人で、その高弟であった証空上人が流祖です。一遍上人は、この証空上人の孫弟子にあたります。ですから、一遍上人時宗の教えには、証空上人が法然上人から受け継いだ教えが色濃く残されているのです。

 先月、西宮の歴史資料館で徳本上人の展示を見たのですが、同じお念仏の僧侶でも、さまざまな布教の在り方があるものだと、考えさせられました。一遍上人は徳本上人よりさらに強烈です。絵巻物の中には、狭いお堂にぎっしりと並んだ念仏聖たちが、一遍上人を囲んでお念仏を称えながら踊っている様子が描かれています。周辺には、牛車にのったやんごとなき人々から、貧しい人々まで大勢詰めかけています。

 僧侶たちが、貧しい人々、病気(おそらくハンセン氏病)の人々に炊き出しをしている様子も描かれています。僧侶たちの表情は生き生きしていて、一遍上人とともに遊行している喜びに満ちています。

 私も、証空上人の教えを少しでも広めるように、研鑽していかなければと思いました。上野に寄り道して良かった!

 さて、目的は達したので帰ろうとしたら、「チベットの仏像」の特集をしているという案内看板が見えました。チベットの仏像はなかなか興味深いものばかり・・・さっそく行ってみると・・・

 おお!並んでいたのは20体ほどの仏様や菩薩様の御像でしたが、なんと、無量寿仏、つまり阿弥陀様の御像もあったのです。しかし、このチベット阿弥陀様は見たこともないほど派手!思わず、ガラスにおでこをぶつけてしまうほどビックリ!

 詳しくは次回のブログをお楽しみに!まずは携帯で撮った写真をご覧ください。ちなみに、この博物館の常設展では、特に撮影禁止の指示がない限り、写真を撮ることができます。一遍上人の絵巻は撮影禁止でしたが・・・

10月の「満月写経の会」は10月6日です。

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 今日はお昼過ぎまで小雨が降っていたので、満月を眺めるのは無理かとがっかりしていたのですが、写経の会が始まるころには、薄い雲のカーテンの向こうに満月が見えてきました。

 今夜、おいでになったのはお二方、扇風機を止めて、虫の声を楽しみながら写経になりました。

 ここ数日、秋が近づいているのを肌で感じるような朝晩の涼しさです。これからは、お月見がより心地よく楽しめますね。

 慈雲寺では、毎月満月の夜、7時半から写経の会をしています。手ぶらで来ていただいても大丈夫。初めての方にも気軽にご参加いただけます。

 来月は10月6日が満月です。

 なお、慈雲寺では、いつでも写経をしていただけるように本堂に用意がしてあります。いつでも、どなたでも、ご自由に本堂に上がり、仏様とゆっくりご縁を結んでください。

 慈雲寺で行われる宗教的な行事は全て無料ですが、お寺の維持のために御喜捨いただければ有難く存じます。