慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

12月21日は終い弘法さんです。四国八十八か所のお砂踏みにもお参りください。

f:id:jiunji:20171217152145j:plain

 毎月21日は弘法大師空海の御命日です。12月は、「終い弘法」のご縁日として、特に御利益があるとされています。

 慈雲寺は浄土宗西山派西山浄土宗)に属していますので、御本尊は阿弥陀如来ですが、弘法大師さまもお祀りしています。慈雲寺は、現在は名古屋市内ですが、文化的には弘法大師信仰の盛んな知多半島に属していると言って良いでしょう。

 慈雲寺にお祀りされている弘法大師像は、若いエネルギーと知性に満ちたお姿です。若い弘法さまのお姿を写した像はあまり多くありません。眼もキリリとしていて、お肌もつるつる!

 ぜひ、慈雲寺の弘法大師とご縁を結んで、活力と美肌のご利益をいただいてください。

 12月21日10時より、短い法要と弘法大師のお話しをいたします。どなたでもお気軽にお参りください。

 また、当日は四国八十八か所の巡礼地から、いただいてきたお砂を踏んでいただけます。お砂踏みや、実際に四国へ行ったのと同じような功徳がいただけると信じられています。ぜひ、ご縁を結んでください。

 お砂踏みは、21日の日中、いつでもお参りいただけます。

◎慈雲寺への交通アクセス
 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます。

 

 

廃仏毀釈は日本人の宗教心を破壊した? (尼僧と学ぶやさしい仏教講座のお知らせと慈雲寺へのアクセス)

f:id:jiunji:20171216062745j:plain

 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は12月17日10時より行います。テーマは「廃仏毀釈とはなんだったのか?」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

 慈雲寺が現在の桶狭間上の山に開創されたのは明治22年のことです。名古屋市内でも比較的歴史の浅いお寺と言えるでしょう。しかし、「慈雲寺」は、もともと京都府乙訓郡にあったお寺の寺号を引き継いだものです。乙訓郡の慈雲寺は、当時、無住となっていて荒廃していたそうです。

 また、慈雲寺の御本尊の阿弥陀如来像は、大阪の私人の家に祀られていたものです。しかし、自宅に祀る仏像ではなく、もともとは寺院にあったものと思われます。穏やかで優しげな表情の仏様で、私は、この仏様にお仕えできるのをとても嬉しく思っています。しかし、近づいてみると、明らかに焼け焦げた跡があり、指も破損しています。

 慈雲寺の御本尊も寺号も、廃仏毀釈の犠牲となったものである可能性が高いようです。

 廃仏毀釈は明治初期に日本中を荒れ狂った悲劇です。比較的短期間に収束したと言われていますが、その影響は現在も続いています。寺院だけでなく、かつて私たちの生活や民俗的宗教慣習と深く結びついていた、神仏習合の信仰、庚申さまや山の神、日の神など、多くの神様も排除されたのです。日本人の宗教心の根本を破壊したといっても良いでしょう。

 国学から神道国教化、国家神道まで、広い範囲にわたる問題ですので、簡単にお話しするのは難しいですが、いくつかのポイントとなる点を御一緒に考えてみましょう。

◎慈雲寺への交通アクセス
 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます。

◎今日の写真は、カナダのバンクーバー市にあるバンドゥーセン・ガーデンのシャクナゲです。バンクーバーやビクトリアには、たくさんの種類のシャクナゲが植えられています。

今、何をすべきなのか?

今日の、お釈迦さまの御言葉

「他の人の目的がいかに大事なことであっても

自分の目的をおろそかにしてはならない。

 自分の目的を深く知り

常に自分の目的に専心しなさい。」 (法句経より)

 

f:id:jiunji:20171214110459j:plain

 年末になると、さまざまな「やらなければならないこと」が起きて、本当に今なすべきことがおろそかになりがちです。

 日本にお念仏の教え、阿弥陀様の御救いの教えを確立なさった法然源空上人(法然上人)は、「お念仏をしやすい暮らし」を作り上げていくことの大切さを繰り返し語られました。

 一人で静かに暮らす方がお念仏しやすいなら、山奥で隠遁生活をすれば良いし、寂しくてお念仏がしにくいというなら、家族と都会に住んでも良いでしょう。ともかく、お念仏を中心にした暮らしが大切なのです。

 しかし、法然上人の教えられた「お念仏の暮らし」とは、ただ「なんまんだぶ」と称えるだけの暮らしではありません。

 法然上人の高弟の中で、最も長い間おそばに仕え、法然上人の最も円熟した思想を直接受け継いだ善慧房証空上人(西山上人)は、「念仏とは、仏の因縁を知り、その功徳を念ずることを念仏というなり」と教えて下さっています。

 法蔵菩薩がなぜ阿弥陀仏になられたのか・・・その深い深いお慈悲を受け止め、その嬉しさのあまり口からこぼれでるのがお念仏だと、証空上人は教えていらっしゃいます。

 阿弥陀仏に願われている身の上であることを喜ぶ暮らしが、お念仏の日暮らしなのです。「世間の目」や「体裁」に振り回されることなく、自分の目的を大切にして暮らしてまいりましょう。

 ・・・とは言え、やはり自分の部屋や寺務所は整頓しないと駄目ですね。持戒

◎今日の写真は、カナダのビクトリアにあるブッチャート・ガーデンです。今日は寒いので温かそうな日差しの写真にしてみました。

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマは「廃仏毀釈」についてです。(慈雲寺へのアクセス)

f:id:jiunji:20171212113643j:plain

 慈雲寺では、毎月、身近な話題から仏教の「考え方」「ものの見方」を御一緒に学ぶ会を催しています。どなたでも、お気軽にご参加ください。

12月は17日の日曜日、10時より行います。テーマは「廃仏毀釈とは何だったのか」ということを中心にお話ししたいと思います。

 「神仏分離令」に始まる廃仏毀釈は、誕生したばかりの明治政府が出した、最初の政治的判断の一つです。この動きにより、日本全国で少なくとも4万以上の寺院が破壊、廃寺となりました。

 これにより、1000年以上続いた日本独自の宗教的慣習である「神仏習合」は壊滅的な打撃を受けたのです。各地の神社にあった神宮寺のほとんどが破壊されました。多くの経典が燃やされ、神仏習合に関連した仏像や絵画、仏具などが破壊されました。

 しかし、この運動は比較的短期間で鎮まっていきました。それはなぜだったのか、また、廃仏毀釈によって日本の仏教はどう変わっていったのかの基本的な流れを見渡してみたいと思います。

◎慈雲寺への交通アクセス
 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。「郷前の交差点近くの慈雲寺」とおっしゃってください。慈雲寺を知らないタクシーの運転手もいますので、その場合は郷前の交差点の鍼灸院で降りてください。鍼灸院からお寺の屋根が見えます。

寒い時は‟作務”!

f:id:jiunji:20171210114707j:plain

 今朝も寒かったですね!日本の伝統的な家屋は、「夏涼しい」というのを基本に設計されていると聞いたことがあります。風通しの良さや軒の深さなどが、その工夫なのでしょうか?確かに夏の本堂は涼しい・・・ということは、冬は寒い!

 しかし、私は寒さはそれほど苦になりません。寒さをしのぐ方法がたくさんあるからです。エアコンやオイルヒーターはもちろん、貼るカイロ、そして達磨のように着込むなどなど・・・

 しかし、今朝は改めて、最良の寒さ対策に気が付きました。それは”作務”です!僧侶や読経や法要、教学の勉強などと並んで、作務を大切な修行と教えられます。まず掃除!が僧侶の基本なのです・・・と、書くと、部屋は乱雑、庭には落ち葉の私は、なんとも申し訳ない気持ち。でも、気持ちだけではだめなのが仏教です。仏教や実践、体験の宗教ですから。

 あああ・・・なんか口だけは威勢が良いけど、体は動かない・・・・

 と、自己嫌悪に陥っていたのですが、今朝はなんとなく気持ちが良い。しっかり着込んで作務を始めました。すると!だんだん体が温かくなっていくではありませんか!少し体を動かしただけで、体の奥からポカポカ。

 そうかぁ・・・寒い時は作務で、寒さ対策・・・なんて、変なダジャレが頭に浮かんできてしまいました。

 一日クルクルと体を動かしていれば、電気代もだいぶ節約できるかも?

◎今日の写真は今熊野観音寺弘法大師の御札です。左側は風邪除けのお守りとのことでした。弘法大師と風邪除けがどう関連するのか不明ですが・・・

 ところで、12月21日と1月21日の弘法大師のご縁日の日は、慈雲寺でも短い法要とお話しをして、弘法様の御徳を讃えます。慈雲寺の弘法大師や、とても若々しいお姿。このようなお姿の弘法大師像はとても珍しいです。肌もつやつや!ぜひ若い弘法大師から活力、元気、美肌のご利益をいただいてください。

 法要は10時からですが、四国八十八か所から集めたお砂踏みは一日中お参りしていただけます。

善行とはなにか

今日のお釈迦さまの御言葉

身体が怒りを放つのを抑え守れ

身体を良く制御せよ

身体による悪い行いを捨て

身体によって善行を修めよ (法句経より)

 

f:id:jiunji:20171209224847j:plain

 テレビでアメリカのミステリー番組を見ていたら、「自分をどう扱うかは相手の業。それに対する私の反応は自分の業」というセリフが聞こえました。英語では「karma」という言葉を使っていました。

 以前にも私たちは何度も輪廻転生するうちに業を重ねてきているのだというお話しをしました。そのために、阿弥陀仏に願われている身の上、すでに阿弥陀様に救われている自分であることに気が付かずに流転を繰り返してきたわけです。

 今生で阿弥陀仏のお慈悲にであった以上、悪しき業を増やすことなく、善き業を重ねて、他の方に回向してあげたいものです。

 では、善行とはなんでしょう。絶対他力の念仏者とは、「利他に生きる」ことを選んだもののことです。ですから、念仏者にとっての善行とは、自分を利することを考えず、他の人を利する善いことをすることです。むさぼりの心を離れ、他の人が幸せになるために行動することです。喜捨・・・喜んで捨てる心が第一歩でしょう。

 他人のために喜捨できるのは、時間、手間、お金、労働、もの、知識、智慧・・・たくさんのことがあります。優しい言葉を書けることも、穏やかな表情で相手の心を落ち着かせることも善行です。

 大切なことは、「善行」は終始穏やかなやさしさに満ちたものだということです。間違った道を行きそうになっている人をたしなめるときにも、高圧的な態度や暴力を使っては善行になるわけがありません。

 相撲界の暴行事件はまだまだ終わりそうもありませんが、「礼儀を教えた」という言い訳が非常に聞き苦しいものでした。礼儀を教えるのに、無礼の極致である暴力を使うというのは納得できるはずがありません。八百長のうわさも気になります・・・あ、横道にそれてしまいました。

 善行は心と体の両方がバランスをとって実践されるのがベストです。

◎今日の写真は京都の街角で見た、ステンドグラスの窓です。

 

この身このままで救い取ってくださっている阿弥陀様 -同性愛についてー

f:id:jiunji:20171207101311j:plain

 前回のブログで、性同一性障害を自覚していらっしゃる方の戒名(法名)の問題について書いてみました。すると、「慈雲寺さんは同性愛についてどう思っているのか?」という質問を受けました。

 私は慈雲寺に赴任する前、40年近くカナダの西海岸に住んでいました。カナダはキリスト教の影響を強く受けている国ですから、同性愛を「聖書で禁じられている罪」と考える人もたくさんいました。しかし、私が住んでいた西海岸は、リベラルな気風でしたから、同性愛に対する寛容さは他の地域にくらべて高く、私も特別そのことについて考えるまでもありませんでした。もちろん、同性愛へのヘイトが原因の暴力事件などが起きたこともありますが・・・

 仏教では、今、人間として生まれてきた私たちは、何度も何度も輪廻転生を続けてきたと考えています。その間には、雄だったことも雌だったことも、女性だったことも男性だったこともあるでしょう。私たちの心の中に様々な要素があって当然だと思います。当然、同性を愛する気持ちが起きることもあるでしょう。

 日本では、「他の人と違う」ということは、それだけで差別の対象になりがちです。同性を愛してしまった人は生きにくいのは事実でしょう。また、「子供を産んで、家を存続させることこそ、人間のまっとうな生き方!」と決めつけている人にとっては、同性愛の人は「悪」に思えるかもしれません。

 しかし、大事なことは、阿弥陀様は一切の条件をつけつずに、私たちを救い取って下さっているということです。阿弥陀様の救いに差別は一切ないのです。

 「性」の問題は、人間の本質にかかわることですから、宗教の重要なテーマです。愛欲はなにより強い執着を生むものでもあるからです。

 ですから、仏教の僧侶は結婚せず、愛欲から離れて生きていけとお釈迦様は教えています。しかし、末法の世に生きる凡夫の私たちには、なかなか難しいことです。頑張って愛欲から離れようとすれば、それがかえって執着になってしまうし・・・

 日本に、阿弥陀仏への信仰を確立した法然源空上人(法然上人)は、「お念仏しやすい生き方を選べ」と教えています。山奥で一人で暮らす方がお念仏しやすければ、山に入れば良い。弟子の親鸞には、「妻と暮らした方が念仏しやすいなら、そうしなさい」と教えています。

 人を愛することは善いことです。それが異性でも同性でも、本質的には「善」だと私は考えます。仏様に性別はないのですから・・・しかし、それが執着になれば、自分も相手も苦しむだけ。広々とした愛で相手を包むのは、難しいですね・・・

◎今日の写真は慈雲寺の属する浄土宗西山派の総本山光明寺にある茶庭です。