慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「夢告」という宗教体験

f:id:jiunji:20180605144451j:plain

 今朝がた、とてもはっきりした夢を見て目が覚めました。その時は、夢の内容がありありと記憶に残っていたのですが、着替えたりしている間に曖昧になってしまいました。でも、かつて御恩になったKさんのことだったのは覚えています。Kさんは、私が旅行ライターになったきっかけを作って下さった方です。ですから、「かつて」ではなく、御恩は今も続いていると言うべきでしょう。ご無沙汰していることが気になって、夢となったのでしょうね。さっそく、今夜、お手紙を書いてご無沙汰をお詫びしようと思います。

 ところで、フロイトを始めとして、多くの心理学者が「夢」に興味を持っています。人の心の奥にあるものが夢になって浮かびあがってくるからでしょうか?

 仏教では、仏様や高僧などに夢の中で出会い、教えをいただく宗教体験を「夢告」といい、とても大切にしています。有名なのは、法然源空上人(法然上人)が夢の中で、善導大師と出会い、阿弥陀仏の教えを受け継いだとされる夢告です。善導大師は法然上人より500年ほど前に生きていた中国の高僧。中国で浄土教を確立した方です。

 夢の中での出会いは、現実の出会いと全く同じ意味があるとされ、場所や時を超えて、善導大師と法然上人の間には師弟関係が結ばれたと考えられています。善導大師は阿弥陀仏の化身という信仰もありますので、法然上人はその浄土思想が阿弥陀仏から直接授かったとすることもできるわけです。

 この他にも、聖徳太子と夢の中で出会った親鸞聖人の信仰体験などが有名ですね。

 もちろん、夢で見たことが全て現実とされているわけではありません。正しい宗教体験なのか、単なる悪夢なのかを見分ける力も必要なわけで、夢告の解釈は難しいものがあります。

◎今日の写真は、根津美術館で見た、中国の石仏です。

坪庭の手入れを「身施」していただきました。

f:id:jiunji:20180603005038j:plain

 今日は朝からご近所のEさんが坪庭の手入れに来て下さいました。私も一緒に庭に降りて、なまけになまけていた落ち葉の掃除や草引きをしました。Eさんは「やってね、と頼まれて来るのではないから、気楽でいい。」と優しくおっしゃって下さいました。

 自分の時間と労力を使って、他の人を手助けすることも大切な布施行の一つです。これを「身施」(しんせ)といいます。布施は自分の修行と供養の第一歩と言えるでしょう。

 布施というと金銭のことをまず思い浮かべると思いますが、そのお金を得るために人は時間を使い、労働し、つまり命の一部を供養しているのです。身施も同じですね。その方の時間、労力、つまりは命を供養しているのです。

 この布施は「喜捨」とも呼ばれます。喜びをもって捨てることができるというのが大切です。誰かに頼まれたからとか、良い人と思われたいからとか、ご近所の手前・・・ などという動機ではなく、「純な気持ちでできるだけのことをさせてもらう」という気持ちが修行につながるのです。

 布施行は、行えば行うだけ、心が穏やかになり、豊かになっていくものです。

 Eさんの身施のおかげで、坪庭は美しくなってきました。

◎今日の写真は、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺の新緑のようすです。

三蔵法師とザビエル

f:id:jiunji:20180601083651j:plain

 先日から平岩弓枝が翻訳(翻案??)した『西遊記』を読んでいます。私は『西遊記』が好きなので、今までいろいろなバージョンを読んできましたが、平岩版は読みやすくて、しかも三蔵法師の心の動きが細かく伝わってきて面白い!さっそくAmazonで全巻ゲット。電車やバスの中で読もうと、いつもお出かけ用のカバンに入れています。

 実は、私には悪いくせがあって、面白い本は集中して読み切るのがもったいない気持ちになってしまうのです。面白ければ面白いほど、他の本に手をだして寄り道したくなる。単に集中力に欠けるせいなのか、子供っぽい「面白いことはできるだけ長く」の気持ちなのかわかりませんが・・・・

 というわけで、『西遊記』は読み続けているのですが、今回も寄り道。古川薫の『ザビエルの謎』に寄り道を始めました。これはテレビ番組の取材で、ザビエルの日本布教から、彼の死にまつわる謎を追った著者のエッセイです。ザビエル、そして彼の属していたイエズス会の東洋布教については、以前からとても興味がありました。インドのゴアに仕事で行ったときも、ザビエルの遺体が安置されている教会にも行きました。

 イエズス会がなぜ、あれほど熱心にアジアに布教したかったのか?ザビエルはどうして短期間の間に日本人信者を多数獲得できたのか・・・同じ「布教」をする身としては強く興味を惹かれます。あ、ザビエルと私を「同じ」なんて言ったら図々しすぎますけど・・・・

 異教徒との出会いも、三蔵法師玄奘とザビエルとは大きく違います。もちろん、『西遊記』の中の三蔵はフィクションですけれど。なんとなく、二人のことを並べて考えていると面白い。

 無茶苦茶な寄り道読書も、時には良いことがあるようです。

◎今日の写真は、国宝の「飛青磁花入」です。大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵されています。鉄分が青磁の表面に小さな雲のような模様を浮き上がらせています。綺麗!

出会いの場所が変われば気持ちも変わる?!

f:id:jiunji:20180530224315j:plain

 上の写真は昨日、大阪市立東洋陶磁美術館で見た、国宝の「油滴天目茶碗」です。この美術館は、前々から行ってみたかったのですが、たまたま近くで取材があり、それが予定よりかなり早く終わったので立ち寄ってみました。

 まず驚いたのは、ここは全館(数点の例外を除いて)写真撮影OK。それは、とてもありがたいのですが、スマホで写真を撮るとシャッター音が異様に大きく響いてゲッソリ・・・あ、それは今日の話題ではありません。

 この美術館の所蔵品で最も有名なのが、この「油滴天目」です。実は、この茶碗を見たのはこれで二度目。昨年10月、国立京都博物館が日本全国の美術館、博物館から集めた国宝の展覧会で出会っていました。

 このごろ、美術館や博物館に行くと、まず最初に展覧会の図録を買い、それに色々書き込みながら展示品を見ています。京都博物館の「国宝」展のように、図録がずっしり重いと持って歩くのも一苦労だし、混雑しているところで大きな図録にメモをするのは迷惑かもしれませんが・・・

  さて、その「油滴天目」ですが、「国宝」展の時の私のメモには、「息が止まるかと思うほど美しかった」と書いてあります。入館に2時間近く待ち、館内も人でごったがえしていましたが、「この茶碗に出会っただけで十分だ」と心から思ったのです。

 しかし、昨日、東洋陶磁美術館で同じ「油滴天目」を見た時は、「おお!」とは一瞬思ったものの、昨年の感動には程遠いものでした。

 なぜでしょう・・・展示の仕方、ライトの当て方、ライトの色・・・そして周辺の雰囲気などなど・・・そして何より、二度目だったこと・・・不思議ですね。鑑賞の環境としては大阪の方が人も少なく、展示品により近くでゆったり眺められたのに・・・

 出会いの場所が変われば、感想も大きく変わって当然なのでしょうか?出会ったときの私自身の精神状態、身体的な状態も変わってくるでしょうね。

 それからもう一つ・・・写真自由というのも考慮すべき点かも。写真に撮れると思うと、集中して心に残しておこうという気持ちが薄くなって、鑑賞に気合が入らない??

 ああ・・・でも、やっぱり油滴天目いいなぁ。お抹茶の緑が添えられるとどんな風に変わるのでしょう?いったいどんな人が、この茶碗でお茶を喫していたのかなぁ・・

 

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は6月17日(日)10時より行います。テーマは「寺院と檀家の関係とは?」です。

f:id:jiunji:20180527211022j:plain

 今日(5月27日)は、5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」でした。気温はすっかり夏!という感じでしたが、本堂の正面だけでなく、北側と南側の扉を開けると、心地よい風が吹き抜けていきました。30名近くの方がいらしてくださり、「終活」というものの実体や必要性などについて、御一緒に考えていただきました。

 結論として、「人は生きたようにしか死ねない」という仏教の考え方からすると、葬儀の予約をしたり、納骨堂を生前購入したりする時間があったら、自分の生き方、ご縁の育て方をしっかり考えないと、本末転倒になるとお話ししました。

 さて、本来の「終活」は、「いかに生きるか」という「今」の問題だと思います。信頼できる僧侶に出会い、信仰を得て、仏教徒として穏やかな利他の暮らしを始めることをぜひお勧めしたい。

 寺院は善き信仰の師や友に出会える場です。仏の教えはお寺でいただき、実生活に生かしていくものだからです。

 本来なら、自分の家の菩提寺と先祖代々のご縁を結び、子供の時から親しんだ僧侶から信仰の導きを得て、安心(あんじん)に満ちた暮らしをしていくというのが、菩提寺と檀家の関係なはずです。

 しかし、今は、自分の菩提寺がどこにあるのか、何宗なのか、全く知らないという人も少なくありません。親の葬儀で初めて、自分と菩提寺の関係を知ったという場合も多いでしょう。

 寺院と檀家の関係はこれからどう変化していくのでしょう?いわゆる檀家制度の歴史から、これからの寺院と檀家の在り方について、御一緒に考えてみたいと思います。

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

 慈雲寺で行われる宗教行事は全て無料です。仏様への御供養や寺院の維持のため、お気持ちを御喜捨いただければ幸いです。

天橋立でみたシャクナゲです。私が住んでいたカナダの西海岸にも、シャクナゲがたくさん咲いていました。ちょっとホームシック。

葬儀会館の思惑に踊らされる「終活」ブーム(??)

f:id:jiunji:20180525152641j:plain

 私は藤の花が大好き。日本へ戻ってきたら、藤の季節がとても楽しみでした。しかし、中部地方は今年、藤の開花がとても早く、すっかり予定が狂って「藤の花見」を満喫することができませんでした。自然の動きは人の都合通りにはいきませんね。

 人間の命も同じです。年齢の多い人から順番にお浄土へ旅立てるわけではありません。「終活」が必要だとしたら、それは何歳でもです。私たちは生まれたその瞬間から、必ず死に向かっており、それがいつかは誰にも分らないからです。

 週末が近づくと、新聞には必ず葬儀会館の広告が入るようになりました。

 「自分らしい葬儀にしたい。

  残される家族に迷惑をかけたくない。

 そう考える人が増えています。」

 なんとも、口当たりの良い言葉ですね。「そうか、皆な葬儀の手配をして、しっかり終活してるんだ。自分も乗り遅れてはいけない。」とつい思ってしまいそうですね。

 しかし、葬儀を少しでも安くあげるために互助会に入ることが「終活」なのでしょうか?できるだけ多くの顧客を抑えておきたい、葬儀会館の「青田刈り」の思惑に踊らされてはいませんか?

 本当の終活とはなんでしょう。「あの人の葬儀に参列するなんて迷惑」とか、「葬儀は負担」と思われてしまうような人の人生とは何なのでしょう?「後生」のことは何も考えなくても良いのですか?

 本当の終活とは何か?葬儀やお墓の手配だけが大切なことなのか?御一緒に考えてみませんか?

 5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマは「終活」についてです。5月27日(日)10時より、慈雲寺の本堂で行います。どなたでもお気軽にご参加ください。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。
●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。

◎今日の写真は天橋立で今年の4月下旬に見た藤です。

5月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のお知らせと慈雲寺へのアクセス

f:id:jiunji:20180522003508j:plain

 先週は慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺で行われていた「曼荼羅相承」という修行のため、本山の山中に籠っていました。皆さまのおかげで無事(膝はだいぶダメージを受けましたが・・・)帰山することができました。本当にありがとうございました。曼荼羅相承の経験については、また詳しくブログに書かせていただきたいと思います。

 さて、慈雲寺では、毎月一回、身近な話題を取り上げて、仏教というものの見方、考え方、仏教徒として生きる生き方などを御一緒に学ぶ会をいたしております。

 今月は5月27日(日)10時より行います。

 テーマは、最近よく耳にする「終活」について考えてみたいと思っています。

 何が本当の終活なのか?本当に終活は必要なのか?

 今はなんだか、葬儀屋さんの販売ツールに使われているような気がしないでもありません。自分の人生の締めくくりに大切なことは何なのか、御一緒に考えてみましょう。

◎慈雲寺への交通アクセス

 申し訳ありませんが、慈雲寺には十分な駐車場がありません。なるべく公共交通を使っておいでくださいませ。
 名鉄有松駅前から、「有松12番 有松町口無池行き 地蔵池経由」に乗ってください。日曜の9時台は二番乗り場から9時07分と36分に発車します。これらのバスに乗り、郷前(ごうまえ)の停留所でお降りください。そのまま道なりに進むと郷前の交差点に出ます。角に鍼灸院があり、その右手の細い坂道を上がると慈雲寺の屋根が見えてきます。
   また、時間はかかりますが、地下鉄の鳴子北駅から出ている「鳴子13番」のバスも郷前に停まります。日曜は8時45分にバスが出ます。

●地下鉄徳重駅からも郷前に停まるバスがあります。
●栄のバスターミナルからは森の里団地行きのバスが一時間に一本出ています。この場合は、郷前の停留所から道を戻って郷前の交差点に行ってください。日曜は8時50分発があります。所要時間は約40分
●JRの大高駅から緑循環バスの名鉄有松行で郷前に行くことができます。日曜は8時44分と9時44分に出発します。9時台のバスですと10時の開始時間には少し遅れますが、あわてずにおいでください。
●また、同じ緑循環バスの名鉄有松行は南大高駅東にも停車します。9時9分発です。
●JRの共和駅からタクシーで5分。市バスはありません。