慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

四月の慈雲寺の催しのお知らせ

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 上の写真は昨日撮ったものです。慈雲寺から自転車で30分ほどのところにある瑞泉寺という歴史のある寺院です。先月、この前を通った時に見事な桜があったので、目を付けていました。しかし、ご覧のようにまだ五分咲き程度。枝垂れ桜はソメイヨシノより遅めと言われてはいますが、名古屋周辺は寒さの戻りが断続的に来ているので、もうしばらく桜を楽しめそうです。

 さて、住職はボンヤリしていても時の流れは止まりませんね。四月の行事のお知らせがまだでした。

 

1)4月14日(日)10時より

「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」

今月のテーマは「観音様ってどんなお方?」です。

 慈雲寺では、毎月、身近な話題をとりあげて仏教というものの考え方、人生のとらえかたなどをご一緒に学ぶ会をひらいています。「講座」という名前はついていますが、どなたでもお気軽にご参加いただけるお話です。

 お話の終了後は、ご一緒にお茶を飲みながら歓談する時間もあります。どなたでも歓迎いたします。

 今月は、西国三十三ヶ所観音霊場の巡礼をはじめ、私たちに最も身近な菩薩さまである観音菩薩のお話です。観音信仰の歴史や、多くの姿に化身される観音さまの慈悲などについてご一緒に学んでみましょう。

2)4月19日19時半より

「満月写経・写仏の会」

 毎月、満月の夜にお月見を兼ねた写経や写仏の会を行っています。写経は大切な修行の一つですが、慈雲寺の写経会は「気軽に、心穏やかに」が目標です。字の上手下手は問題ではありません。必要な道具も全て用意してありますので、どうぞお気軽にご参加ください。

 19時半より、ご一緒に『般若心経』を読経し、その内容についても毎月少しずつ学んでいきます。

3)4月25日10時より 

(お身拭いと四国八十八ヶ所お砂踏みは全日)

弘法大師の御正当日」 

 弘法大師さまは旧暦の3月21日に深い禅定お入りになったと伝えられています。真言宗系のお寺では、以来毎月21日を御縁日としています。

 慈雲寺は現在は名古屋市の中にありますが、歴史的には弘法大師信仰の盛んな知多半島の文化圏に位置しており、弘法大師像を本堂内にお祀りしています。

 毎年、御正当日には御大師さまの御像を檀から降ろし、みなさまにお身拭いをしていただいて、御大師さまとのご縁を深めていただいています。

 今年は4月25日が太陰暦(旧暦)の3月21日にあたりますので、ぜひお参りください。当日は四国八十八ヶ所霊場から集めた砂を踏んで一日巡礼も体験していただけます。お身拭いとお砂踏みは、本堂の開いている時間はいつでもお参りいただけます。

4)毎週土・日曜朝7時半より

「英会話早起き会」

 NHKの「基礎英語1」のテキストを使って、気軽に英会話を楽しんでみませんか?小学生からシニアの方まで、どなたでも歓迎します。

 

◎慈雲寺はみんなのお寺です。宗派に関係なくご先祖のご供養のご相談をはじめ、さまざまなご相談に応じますので、お気軽にお声がけ下さい。

 慈雲寺で行われる行事は、特別な場合をのぞいて全て無料です。お寺の維持や仏さま、ご先祖さまへのご供養のため、お気持ちをご喜捨いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

慈雲寺のホームページの工事を始めました

www.youtube.com

 いつもこのブログに的確な感想やアドバイスを下さる「ももはな」さんのご提案を実行に移してみようと思い立ちました・・・・いや、もうこのブログを始めるときに「ホームページの制作を計画中」と宣言してはいたのですが、それから遅々として進んでいませんでした。

 先日、春休みで名古屋に遊びに来ていた従弟が助けてくれて、いよいよホームページの工事を始めました。テンプレートにそって文章や写真を埋め込むだけなのですが、この「だけ」にすらグズグズするのが・・・・いや、なさけないと嘆いているばかりではいられませんね。

 まずは、慈雲寺を上空からご覧ください。中央部で松の木が目立つ大きな屋根の建物が慈雲寺です。

 HPはもう少し形が整ったら少しずつ皆さんにご覧いただき、アドバイスを頂戴いただければと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

大分へ「巡教」に行かせていただいていました

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 しばらくブログの更新をお休みさせていただいていました。「巡教」から戻って、心身共にへたばっておりました。

 「巡教」というのは、慈雲寺が属する浄土宗西山派西山浄土宗)の御法主が、毎年お正月に檀信徒に向けてお説きになる「おことば」を持って各地へ派遣され、その「おことば」を皆さんにお伝えし、それをもとにしたお説教をするものです。

 宗門のトップに立たれておられる方の名代として出かける・・・というのがたてまえですから、迎えて下さる各寺院の方々もとても丁重にしてくださいます。それだけに期待も大きいわけで、派遣される説教師も緊張します。

 どこの宗門でもだいたい同じだと思いますが、西山浄土宗では僧侶には大きくわけて三つの専門分野があります。教えの研究をする「教学」、儀式を極めようとする「法式」、そして教えを広めるための「布教」です。本当は三つの分野をバランス良く身に着けることが求められているわけですが、それぞれの得手不得手があって、どれか一つを選んで深めようとする僧侶がほとんどです。

 私は「布教」を選びました。私を僧侶にしてくださった最初の師僧が、宗門を代表する布教師の一人だったことが影響していると思いますが・・・・

 度を越した怠け者なので、布教師としての研鑽は遅々として進みませんが、ときおり巡教に派遣されると、とても緊張し、準備にも大わらわになります。巡教を終えて戻ってくると、しばらくは抜け殻状態です。

 今回も反省することが山盛りですが、ゆっくり検討して、今後に活かせていかれればと思っています。まずは悲鳴をあげている膝の治療からでしょうか。

◎今日の写真は神戸で見た古いランプです。

 

智慧 (お彼岸の期間中は、「六波羅蜜」について考えてみましょう。Part4)

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 今日でお彼岸の期間も終わりです。通常の年ですと、彼岸明けに墓参に来る方は少ないので、この日にお墓参りをして彼岸中に供えた花を替え、ご先祖への供養を新たにするのをおすすめしています。

 でも、今年は今日が日曜なので、「あ、お彼岸中にお参りしなきゃ!」と駆け込み(?)彼岸供養している人もいらっしゃるようです。

 六波羅蜜の最後は智慧(プラジュニャー)です。この智慧は一切の本来の姿(法性)、本質を見極める智慧です。それによって執着をはなれていくのです。この智慧は、他の五つの波羅蜜の基盤です。

 残念ながら、末法の時代に生きる凡夫の私たちは、このような深い智慧を完成することはほとんど不可能でしょう。しかし、卑下することなく、傲慢になることなく、自分が凡夫であることを自覚することが、末法の時代に生きる私たちの「智慧」と言っても良いでしょう。

 墓参の時は、ぜひお寺の本堂にあがり、阿弥陀様のやさしい、慈愛にみちたお姿を拝んでください。

◎今日の写真は神戸の港の様子です。震災からの復興を嬉しく思いますが、そこから取り残されてしまっている人々の苦しみにもぜひ心を向けていきましょう。

 

 

持戒 (お彼岸の期間中は「六波羅蜜」について考えてみましょう。Part3)

 

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  大乗仏教仏教徒として生きる人々の、日常生活における実践を大きく六つの徳目に分けたのが「六波羅蜜」です。

 その二番目に挙げられているのが「持戒」(シーラ)です。これは仏教徒としての生活習慣を意味します。悟りへの修行を続ける上での善き習慣と言って良いでしょう。

 キリスト教でいう「十戒」とは、同じ「戒」という言葉が使われていても根本的に違うものです。

 大乗仏教における「戒」にはさまざまな種類があり、対象によって異なります。出家した僧侶がまもるべき「二百五十戒」、尼僧はさらに多く「三百四十八戒」!などというものもありますが、もっとも基本となるのは、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)です。

 「悪いことをやめる。良いことをする。他の人のために自分ができることをさせてもらう」

 この三つを生活習慣の基盤として生きていくことによって、より穏やかで、苦しみの少ない暮らしを送ることができるのです。とはいっても、末法の時代に生きる凡夫である私たちは、そう簡単にはいかないかもしれません。

 しかし、そんなときこそ、私たちが例外なく「阿弥陀仏に願われている身の上」であることを思い出してください。お彼岸の期間中は、お墓参りだけではなく、ぜひお寺の本堂にお参りして、やさしい仏さまのお顔をゆっくりと拝ませていただきましょう。

◎今日の写真は、神戸でみた鳥かごです。仏教の「戒」は、私たちの行動を規制する「檻」ではなく、私たちの心をこだわりの少ない軽やかなものにしてくれるものです。

布施波羅蜜 (お彼岸の期間中は「六波羅蜜」について考えてみましょう。Part2)

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六波羅蜜」は、念仏者として生きる人々の日常生活の実践を大きく六つに分けて示したものです。

 その第一に挙げられているのが「布施」です。これは「与える」ということです。布施というと、葬儀や法事の時にお礼のようなものとして金銭を包むことと考えていらっしゃる方が多いようですが、僧侶個人に対するお礼や対価とは全く違うものです。

 物質的な施しは「財施」と呼ばれ、施しという修行です。喜捨ともいうように、人にとってとても大切な物質や金銭を喜んで手放すことによって、執着から離れる修行の一つのありかたになっていくのです。

 ここで大切なのは「喜んで」というところです。「他の方は法事の時にどのぐらい包むのが普通なのか?」とか、「金額で恥をかきたくないし、お坊さんに対して失礼にあたらないのか?」といいうような質問を時々聞きました。他の人のことや「失礼」などということはあり得ません。

 自分にとって、喜んで施せるものを精一杯させてもらうという正直な気持ちに従ってください。10円でも100万円でも私の態度は変わりません・・・と言いたいところですが、私も凡夫。お寺の維持のことを考えると悩ましいところです。

 さて、布施は財施だけではありません。

 僧侶がお説教は法話、日常の儀式などを通じて精神的な恵み(仏の教え)を説き与えることも「法施」という布施です。僧侶にとって、この法施は最も大切な修行です。

 つたないながらも、毎月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」においで下さる方々にはこの意味で、深く感謝しています。

 さらに人々に恐怖を除き、安心を与えることも「無畏施」という大切な布施です。「和顔愛語」という言葉がありますが、穏やかな表情や笑顔、思いやりのこもった言葉をかけることも布施なのです。

 念仏者の日常は、布施行の連続となっていくのですね。

◎今日の写真の絵は、迷いの世界から彼岸へ渡ろうとしている念仏者の姿と現した「二河白道」というものです。向こう岸へ渡ることを勧めているお釈迦さま(画面の右側)と、極楽から念仏者を迎えている阿弥陀仏が描かれています。

 

 ぶっきょう

お彼岸の間は、「六波羅蜜」の実践を心がけましょう。Part1

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 今日は、彼岸の入りの日です。お彼岸は春分の日を「中日」として、前後3日ずつ七日間続く、日本独自の宗教的慣習です。

 今朝は慈雲寺でもお彼岸の法要をしました。お寺の掲示板にお知らせを貼っただけなので、もしかしたらどなたもおいでにならないかも・・・と思っていたら、4人の方が一緒に読経をして下さいました。なんとも嬉しいことでした。

 お彼岸の法要の時は、「六波羅蜜」についてお話をするのが一般的です。中日の前後の3日間ずつに、六つの波羅蜜をあてはめて、その大切さを説くのです。

 ところが、今日は「六波羅蜜」のお話をしはじめたら、なんと!六種類の波羅蜜が口から出てこない!六波羅蜜は仏教の基本中の基本・・・ど忘れでは言い訳できません。

頭が真っ白になり・・・いよいよ老化が・・・と泣きそうになりました。

 そこで、反省をこめてこれからお彼岸の間は、このブログで六波羅蜜について書いていこうと思います。

 第一回目の今日は、「波羅蜜とは何か」がテーマです。

波羅蜜」は、サンスクリット語のpāramitāの音を漢字に当てはめたものです。大乗仏教で、彼岸(悟りの世界)へ赴くために修行者が行うべき徳目のことをいいます。

これを大きく、布施(ふせ),持戒,忍辱(にんにく),精進,禅定(ぜんじょう),智慧の六つに分類します。実は智慧は、他の5つの徳目の根拠となるものなので、]修行の徳目というのとは、意味合いが違うと言って良いでしょう。

 もちろん、末法の世界に生きる凡夫の私たちは六波羅蜜を実践 するのは至難のことですが、ありがたいことに、阿弥陀仏は私たちの代わりにすでに、これらの修行をすべて成し遂げていらっしゃるのです。

 この身このままで阿弥陀仏に迎え取られているからこそ、自分のできる範囲で、六波羅蜜の実践を心がけるのが、浄土教仏教徒の生き方の指針です。

◎今日の写真は空也上人で有名な京都の六波羅蜜寺踊念仏の法要の様子です。私も一度、この法要に参加させていただきましたが、予想以上に激しい動きと迫力あるお念仏で、見るだけでも感動的な体験でした。