慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

出家を考えて下さっている方へ・・・・あなたが惹かれるお祖師様はどなたですか?part 1

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 女性の生き方、暮らし方、ライフスタイルの選択肢の一つとして、「尼僧」というものがあっても良い・・・というのは、私がこのブログでも何回も繰り返していることです。

 そのせいか、「出家を考えている」とお手紙を下さったり、ブログにコメントして下さったりする方が時々おられます。とても嬉しいことです。

 しかし、出家を考えておいでなのに、仏教そのものには格別の興味もなさそうな方がおいでになります。漠然と「出家」という新しいステージに憧れたり、何か突破口や逃避の手段として「出家」を考えておいでの方もいます。

 全ては仏縁ですから、きっかけはどうでも良いという考え方もあると思います。しかし、それでは一生を左右する方向転換としてはどうでしょう?

 私は「まず、仏教徒になってから出家を考えてはいかがでしょう?」とお勧めしています。

 仏教といっても、日本にはたくさんの宗派があり、修行の仕方も、僧侶としての日常も大きく違います。仏教はお釈迦様の時代から、「対機説法」といって、相手の性格や能力、環境などに合わせて、教え方、修行の仕方が違っています。自分にあった教えに出会えなければ、長続きもしないでしょう。

 あなたの家の菩提寺の教えが、自分に一番しっくりする・・・と、思える人は幸せですが、なかなかそうはいかないでしょう。

 教えに出会えるヒントとして、私がおすすめなのは、それぞれの宗派を開いた「宗祖」とか「祖師」と呼ばれる方々の伝記を読んでみることです。真言宗弘法大師、浄土宗の法然上人、浄土真宗親鸞聖人、曹洞宗道元上人、時宗一遍上人など、たくさんの僧侶の生き方や教えを伝える本を読んでみてはいかがでしょう?

 それぞれの宗派が出している本と、宗派とは直接関係のない研究者や小説家などが書いた本など、角度の違う見方で何冊か読んでみると良いと思います。

 僧侶になるということは、その祖師から教えを受け継ぐ末弟になるということですから、祖師の言葉、生き方に魅力を感じなければ、その宗派に属して修行をするのはとても辛いことになるでしょう。

 私は、浄土宗の西山派に属する僧侶です。宗祖は法然源空法然上人)です。そして西山派の派祖(流祖)である、善慧房證空上人の生き方、言葉、教え、その全てが私にぴったりだと思えました。最初に見た、證空上人のお姿が刻んだ像も「真面目で良い人そう!」と思ったし、彼の論理的に組み立てていく説明の仕方も心地良いものでした。

  證空上人について書かれた本のことは、Part2 で詳しくお話します。

 

 多くの人が「良き祖師」と出会えることを願っています。

 

◎今日の蓮も宇治の平等院で見た白蓮華です。

 

 

7月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は26日(日曜)10時より行います

 

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 先月から、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を再開しました。と言っても、状況はまだまだ急激な変化が続いているので、様子を見ながらというところです。

 今月は、半年で大きく変化した私たちの日常生活の中で、仏様やご先祖様と私たちの「縁」がどう変化していくのか、また、この時期に迎える「お盆」の意義を改めて考えてみたいと思います。

 いろいろな意味で、不安に陥りやすい今こそ、ご先祖と自分とのつながり、家族や友人とのつながり、そして近隣、さらに大きな範囲でもコミュニティの「縁」が、それを包み込む仏様のお慈悲というものを思い出してみましょう。

 「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、「講座」というタイトルがついていますが、身近な話題から、仏教のものの見方、考え方をご一緒に学んでいく会です。どなたでも歓迎したしますので、お気軽にご参加下さい。

 7月26日10時より 慈雲寺の本堂で行います。

 椅子の間隔をあけ、扉を大きく開けて、風を十分に取り入れます。入口に除菌ジェルを用意しますので、手の消毒をしてお入り下さい。境内ではマスクをしていただけるようにお願いいたします。

 通常ですと、講座終了後、茶話会をするのですが、まだしばらくは中止する予定です。しかし、紙コップと冷たいお茶はご用意いたします。

 

◎慈雲寺へのアクセスについては、慈雲寺のホームページ、jiunji.weebly.com をご覧になって下さい。

◎今日のピンボケ写真は宇治の平等院で撮影しました。



事務仕事が苦手過ぎる・・・・住職向いてないかも・・・・

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 しばらくブログの更新を怠けていました。天然温泉付きのリゾートマンションで、リタイヤ生活を始めた友人に会いにいった(温泉が主目的なのは内緒)のと、いくつかの書類の始末をつけなければいけなかったので、数日固まっておりました。

 前にも何回か書きましたが「僧侶」は仕事ではありません。「仕事」の定義はいろいろかと思いますが、本来なんらかの「報酬」が発生するものが仕事だと私は考えています。

 お経を読誦したり、仏様に御供養したり、説法をすることは、「仕事」ではなく、私の「修行」です。対価は発生しない。むしろ、修行の機会を与えて下さったお寺や信者の方に感謝しなければいけないことです。

 檀信徒から供えられるお布施は、その方々にとっての「布施行」という修行です。仏様やご先祖への供養、寺院のサポートという布施行なのです。ですから、僧侶である私に「支払われるもの」ではありません。

 一方、住職は「仕事」です。その寺院に供えられたお布施を適切に使って、寺院を維持し、宗教法人を運営していく役割です。仕事に対しては報酬をいただき、きちんと所得税を納めるという義務を果たしていく・・・という流れです。

 ついでに言えば、宗教法人も「法人市民税」や「法人県民税」などは支払い義務があります。

 

 と、いうわけで、住職としては、書類申請や支払い、会計など、けっこう事務仕事が発生するのです。とは言え、檀家のない慈雲寺は他のお寺にくらべると、事務処理をしなければならないことなど、ほとんどありません・・・でも、ないわけではない。

 しかし、事務能力がゼロ以下、マイナス38ぐらいの私にとっては、まさに泣ける日々です。それでも毎日少しずつでも処理していけば良いのに、先送りにするので、追い詰められてしまいます。自分が情けなくて哀しい。

 裏の空き地の雑草も、すばらしい勢いで生えてるし・・・

 なんて、泣き言を言っていても何も解決しないので、とりあえず、今日は、法人事業税と法人県民税の支払いに行ってきます。

◎今日も、極楽を地上に再現したといわれる宇治の平等院です。

寂しい時はお墓参りが特効薬 Part 2

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 人間関係・・・とりわけ家族との関係で寂しさを感じるときは、お墓参りがおすすめと前回お話しました。

 コロナ禍で家族と過ごす時間が増えて、かえって寂しく感じるという一見矛盾した現象があちこちでおきているようです。寂しい・・・と感じるだけではなく、怒りが爆発して暴力にまでなった事件も報じられています。物理的、空間的な「近さ」が、かえって心の空虚さ、遠さを明らかにしてしまったのでしょう。

 理想的なのは、お墓が菩提寺の境内にあって、墓参りの前には本堂でご本尊にお参りし、帰りには和尚さんと少しお話して・・・・という流れ。広い霊園の中にお墓がある場合でも、墓石の周辺の雑草を抜き、掃除をして、墓石を拭き清め、新しい花を供えるという一連の動きをしているうちに、ざわめいていた心が静まって行くのに気が付くでしょう。

 お墓参りに行くときは、お線香選びも大切です。お線香は、仏様やご先祖への御供養というばかりでなく、祈る人の心身を清めるためのものでもあります。お香の専門店を訪ねて、お気に入りのお香を入手すると良いでしょう。香りによる癒しの効果はあなどれません。

 最近は、機械が自動でお骨を運んで来てくれる、巨大な納骨堂もあります。冷暖房完備で、墓石のような形の礼拝コーナーが造られています。仏花なども用意されていて、「手ぶらでお参り」ができるというわけです。面倒なことは一切無し。

 しかし、お墓参りの良さは、この「面倒なこと」の中にもあるのです。お線香を選び、仏花を選び、お墓の雑草を抜いて、掃除をする・・・・そうしているうちに、自分がけして一人で生きているわけではなく、何千、何万という祖先の思いに支えられていることに気が付くのです。

 「面倒なこと」をしているうちに、支えあいと凭れあいの違い、甘えと思いやりの違いなど、さまざまな大切なことをゆっくり考える余裕が出てくるかもしれません。

 近しいからこそ、意思を丁寧に伝え、きちんと説明する、その上での思いやり。時には距離を置いて、鎮静化を待つことも必要だと気が付くかもしれません。

 墓地は人の命の危うさ、短さを示す場所でもあります。問題を先延ばしせず、解決に取り組まなければ、いつ今生の別れがくるかわからないという現実を示す場所でもあります。

 そのうえで、お寺にお参りすれば、私たちが御仏のお慈悲に包まれて生きていることにも気が付くでしょう。

◎今日は、昨日の蓮華の別アングル。宇治の平等院は極楽の様子を再現した場所なので、蓮がとりわけ似合います。

 

寂しい時はお墓参りが特効薬 Part 1

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 このブログや新聞の随想にも何度か書いたのですが、僧侶として全方向で「ろくでなし」の私ですが、目標としている「朗らかな独居老人」は何とか達成できそうです。

 もちろん、気持ちが深く落ち込んで眠れない日もありますが・・・・一人暮らしが辛いと思ったことはありません。

 「あそこのお寺の庵主さんは、一人暮らしなのに、いつもニコニコ暮らしてるなぁ。阿弥陀さんと一緒だからかな?!」と、私の暮らしぶり、ふるまいを見て思う人が増えたなら、私の僧侶としての役目は何とか果たせたかなと思います。もっと徳の高い僧侶を目指すべきなのかもしれませんが・・・・

 

 さて、コロナ禍の影響で家族が一緒にいる時間が増えている家も多いことでしょう。これを機会に家族の絆が深まり、楽しい時が過ごせるはず・・・と、思ったら、現実は逆だったと感じる人も少なからずいるようです。

  先日、お寺にお参りにいらした方が、「家族と一緒にいると、かえって孤独を感じる」と少し寂しそうにおっしゃっいました。今まで、共有する時間が少なかったので問題を直視せず、先延ばしにしていたことが露わになってしまったからかもしれません。

 

 大勢の知人や友人と飲み会をしている時、カラオケで歌っている時、学校の教室で・・・などなど、たくさんの人の中にいるときこそ、孤独を強く感じることがあります。ラインやツイッターで何十人もの人につながっているようでも、実は空虚なものだと気が付いたときの孤独感も非常に辛いことでしょう。

 

 そんな時はお墓参りがおすすめです。寂しいときに、寂しい場所に行ってどうするんだ?と思うかもしれませんが、自分のルーツを訪ね、ご先祖から受け継いだ生命について考えるのに、お墓参りほど良いきっかけはありません。(この項つづく)

 

◎今日の写真も、宇治の平等院に咲く蓮の華です。

 

 

熊本豪雨の犠牲者を追悼する

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 昨夜は、毎月、満月の夜に行っている「満月写経・写仏の会」の日でした。桶狭間にも断続的に激しい雨が降っていたのですが、5人の方が参加して下さいました。

 ご一緒に『般若心経』を読誦した後、熊本の豪雨で犠牲になった方々のために廻向をさせていただきました。

 

 私は小学生の時に、1200人の犠牲者をだした狩野川台風を経験しています。狩野川台風の時は、近所の川が氾濫し、家は押入れの上段まで浸水しました。父は単身赴任中でしたから、幼い二人の子供を抱えた20代の母はどれほど恐ろしい思いをしたことでしょう。それ以上に、赴任先で妻子の安否を心配していた父の気持ちを思うと・・・・

 しかし、私たちは三人とも、ともかくは無傷で翌朝を迎えることができました。しかし、その後の泥の掻き出しや掃除の大変さは強く記憶に残っています。ご近所の浸水地域はごく一部でしたし、日常生活への影響もそれほどはなかったと思います。

 今、九州の被災地の方々は、さらなる豪雨の予報に不安の時を過ごしていることでしょう。避難所でも、新型コロナの心配も加わっていうとのこと。

 祈ること以外、今はできない自分がとてももどかしいですが、明日からは何かできることがないかと、模索してみようと思っています。

 

◎今日の写真は宇治の平等院に咲いていた蓮の華です。

7月6日は満月写経・写仏の会の日です。

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 7月の満月は6日です。梅雨空でお月様が出るかどうかわかりませんが、おぼろ月が雲間から顔を出してくれるかもしれません。本堂の縁側から眺めると、空が広くて月の動きがとても美しく見えます。

 お月見を兼ねた「満月写経・写仏の会」は夜7時半より、『般若心経』を参加者で一緒に読経し、その後、お経の内容についても、少しづつ学んでいきます。

 慈雲寺の写経はたぶん日本一のんびりしたものです。初めての方も気軽にご参加ください。字の上手下手は全く問題ではありません。

 早めにいらしても、7時半に間に合わなくても大丈夫。穏やかな気持ちで時を過ごすのが第一の目的ですから、慌てずにおいでください。

 必要な用具は全て揃っています。椅子に座って書写していただく席も設けてあります。

 慈雲寺での行事は、どなたでも歓迎いたします。また、特別な時を除いて参加費は不要です。ご先祖の御供養やお寺の維持のために、お気持ちを御喜捨いただければありがたく存じます。