慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

静かに修正会を終えて

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慈雲寺の境内です。



 

 除夜会と修正会を終えて、静かに新しい年を迎えました。大雪の予報が出ていたので、誰もおいでにならないのでは・・・と思っていたのですが、4名の方が参加して下さいました。

 雪も止み、思ったほど寒くもない年明けです。

 

 昨年はコロナ禍をきっかけに、世界が大きく変化した一年でした。ワクチンの接種が始まっても、状況が急激に好転するとは思えません。経済への影響も露わになってくるでしょう。しかし、生老病死は私たちがいつでも直面している「苦」の現実に他なりません。

 仏教は、その現実に、落ち着いて、勇気をもって向き合うための智慧です。何が大切なのか、何が自分を苦しめているのか、何が私を不安にしているのか・・・・穏やかで苦しみの少ない生き方をするための智慧を仏様がお示し下さっているのです。

 

 阿弥陀仏は、私たち凡夫のために、誰でもが悟りを開くための修行がごく楽にできる特別な場所、極楽を用意して下さり、一切の条件を付けずに、その浄土へ迎え取って下さいます。

 しかし、浄土での修行、菩薩としての生き方は、死んでからのことではありません。現世にいる間にも、私たちは菩薩としての修行を始めることができるのです。

 菩薩としての修行は、一言でいうと「利他に生きる」という生き方です。病に怯え、社会や家庭に不安が広がっている今こそ、「善を行い、悪を避け、他の人のためになることをさせてもらう」という生き方こそが本当の活力を生み出していくことでしょう。

 新型コロナに罹らないために、できること、すべきことがだんだん明らかになっています。三密を避ける、マスク、手洗いなどの基本をしっかり守り、免疫力を高めることが大切でしょう。

 ストレスは免疫力低下の要因の一つと言われています。自分にできることは精一杯行い、そこから先は阿弥陀仏にお任せする・・・・という念仏者の生き方こそ、本当の意味での「ストレスフリー」の暮らしにつながっていきます。

 

 心が硬くなったり、不安になったりしたときは、ご近所のお寺にお参りしてみませんか?できれば歩いて出かけて下さい。

 慈雲寺は、今年も本堂の扉を開けておきますので、いつでも阿弥陀様や弘法大師のおそばで、ゆったりした時間を過ごして下さい。

 

◎元旦から3日まで、極楽の様子を描いた「当麻曼荼羅」の御開帳をいたします。どうかお近くでゆっくりご覧になって、ご縁を結んでください。

 本堂が開いている時間はいつでもお参りいただけます。

 

除夜会と修正会  

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慈雲寺には梵鐘はありませんが・・・・

 ご近所のとても賢く可愛らしい兄妹がお餅を届けて下さいました。山門には青竹で作った筒に門松風の花を生けました。明日、本堂の仏花を替え、お餅を供えれば、慈雲寺のお正月の用意は何とか整います。境内の掃除が十分に・・・というか、全くできなかったのですが、見かねた方が私が外出している間に掃除をして下さったようです。甘えてはいけないと思いながらも、本当にありがたく思っています。

 さて、除夜会と修正会のお話です。除夜会は、一年の一番終わりの日、除夜に行われる最後の法要です。そして、一年の最初に行う法要を修正会と呼びます。

 一年の間に知らず知らずのうちに心に降り積もった煩悩の埃をいったん払い、新たな気持ちで新年を迎えませんか?

 大きな神社やお寺に初詣に行くのは楽しい習慣ですが、今回はあまり人の集まらない、ご近所の小さなお寺や神社にお参りに行ってはいかがでしょう?

 まず大晦日のうちにお寺にお参りし、気持ちを新たにしてから、神社へ参拝するのがお勧めです。

 慈雲寺では12月31日夜11時45分より除夜会を行い、そのまま修正会を続けて行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

 短い法要ですが、慈雲寺には十分な暖房がありませんし、扉は開けたままにしますので、どうぞしっかり防寒をなさっておいでください。

 

年末年始の慈雲寺の行事

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 今、本堂の扉を閉めながら夜空を見上げたら、美しいお月様が輝いていました。

慈雲寺では毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経と写仏の会を行っています。今月は29日に行います。

 年末年始は、有名な神社やお寺にお参りするのも良いですが、今年は人込みを避け、ご近所の小さな神社やお寺で静かに過ごしてみてはいかがでしょう?

 慈雲寺でもいくつかの行事を予定しています。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にお参り下さいませ。ただし、本堂の扉は開け放っておきますので、どうぞしっかり防寒をしてお出かけください。特に、足元は寒くなりますので、靴下カバーなどをお持ちいただければと思います。

 

◎12月29日夜7時半より 満月写経・写仏の会

 お月見を兼ねた写経の会です。7時半から『般若心経』をご一緒に読誦し、お経の内容についても少しずつ学んでいきます。必要な道具は全て用意してありますので、お気軽にご参加下さい。

 

◎12月31日 夜11時45分より 修正会

一年を振り返り、自分の心を苦しめていたさまざまな煩悩、執着をいったん手放し、新たな気持ちで新年を迎えるための仏教行事です。

 どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

 

◎1月1日~3日 『当麻曼荼羅』の御開帳

 善導大師が『観無量寿経』を解釈した『観経疏』に基づいて、極楽の様子を美しく描いた曼荼羅です。近くでじっくりと眺めて、阿弥陀仏とのご縁を深めて下さい。

 早朝から夕方まで、本堂の開いている時間ななら、いつでもお参りいただけます。ご遠慮なくお近くでご覧ください。

 

暖かな服装でお越しください。(尼僧と学ぶやさしい仏教講座のご案内)

 

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寺院の内陣に飾られる荘厳の一つ「天蓋」

 日に日に寒さが厳しくなってきました。今年もあと一週間。短期間のうちに私たちの暮らしの基盤が大きく揺れた一年でした。

 名古屋でも新型コロナの患者が毎日増えていますので、今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を予定通り行うかいろいろと考えましたが、こんな時だからこそ、阿弥陀様に会いに来ていただきたいと思い、開催を決めました。

12月27日(日)10時より

テーマ:お寺の本堂には何がある?

 お寺の本堂に祀られている仏像から木魚などの仏具や飾り、お賽銭箱など、何のためにあるのか、その意義や正しい使い方などをご一緒に学びましょう。

 「講座」という名前はついていますが、どなたでもお気軽にご参加いただける内容を心がけています。

 

◎三密を避けるため、本堂の扉は開けておきますので、どうぞ十分に暖かな服装でお越し下さい。

◎入口に消毒用ジェルを用意しますので、手の消毒をしてお入り下さい。

◎どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加下さい。

◎慈雲寺へのアクセスについてはホームページ jiunji.weebly.com をご参照下さい。

 

 

 

お賽銭と喜捨 Part2  寺院の場合(その1)

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タイで僧侶に喜捨をしている様子



 日本の神道における神様は、正しい(適切な)まつり方をしてお願いをすれば力を発して、その願いをかなえてくださいます。参拝の仕方も、お供えの整え方も、そうした正しいまつり方に沿ったものでなければいけません。お賽銭も「正しいまつり方」としての一連の行動の一部です。収穫物などのお供えの代わりという面もあるでしょう。

 かつては「賽米」といって、お米を投げ入れる箱もあったそうです。お米には特別な力があると考えられていますから、お清めの行動と理解することもできると思います。

 

 お寺でも金銭やものでの「お供え」をしますが、仏教におけるお供えの意味は大きく違います。多くのお寺でお賽銭箱に「喜捨」と書かれています。もともとは禅宗の言葉だそうですが、その意味は「喜んで捨てる」です。

 仏教では、自分の欲望、執着、こだわりから離れるための修行を重要視します。布施はその修行の一つなのです。自分の持っているもの、とりわけ金銭は、私たちが最も強く執着するものです。それを喜んで捨てることによって、こだわりから離れる修行です。

 ですから、金額が多いとか少ないとかの問題ではないし、「ご縁(五円)を結ぶ」といった駄洒落で金額を決めるものでもありません。自分が喜んで、手放す・・・というところが何より肝心です。

 惜しい・・・という気持ちが起きたら、その自分の執着やこだわりを見つめなおして、それがどれほど自分を苦しめているか省みるきっかけと考えてはいかがでしょう?

 

 ご近所の方が、畑で採れたものなどをお供えして下さることもあります。これも同じです。自分が時間や労力を使って栽培した成果ですから、それを金銭に変えず、お寺にお供えすることは、執着を離れることに他なりません。

 また、布施には金銭やものだけでなく、「身施」も重要です。これは労力や智慧を布施する行動です。例えば、お寺の掃除や行事の手伝いなどもその一つ。慈雲寺でも、多くの方がこの身施をしてくださいます。このお力添えがなければ、とてもお寺を維持することはできないでしょう。

 身施の場合も大切なのは「喜んで捨てる」です。お付き合いだからとか、檀家だからというのでは、本来の修行とは違ってきてしまうかもしれません。(つづく)

お賽銭と喜捨 Part1 神社の場合

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●©地主神社

 上の写真はネットからお借りした京都の地主神社の写真です。この神社は縁結びの神様として、女性誌などにもたびたび取り上げられる有名な神社です。新品(?)の立派なお賽銭箱が写っていますね。

 今朝、ローカルのテレビ局の情報番組を見ていたら、「初詣のお賽銭の額、愛知県が日本一!」という特集を組んでいました。名古屋に本社を置く会社の社長に「お賽銭をいくら入れますか?」なんて結構失礼(率直?)な質問から、一般の人のお参りまでなかなか興味深いものでした。

 インタビューを受けた社長の一人は「初詣は今年の決意を伝えに行くので、お賽銭はいれない」ときっぱり。お賽銭はお願いやお礼するときに供えるもので、神様へ決意表明するだけで、お願い無しの時はお供えも無し・・・・う~~ん・・・なかなか面白い態度です。

 おもしろいと言えば、だじゃれでお供えの額を決める人も多いようです。「ご縁を結ぶから5円」、「ご縁を重ねるから50円」というのは前にも聞いたことがありますが、今朝の番組では「始終ご縁を結ぶという意味で45円」と言っている人もいました。これもう~~ん・・・神様はそんなだじゃれを理解して下さるのでしょうか?

 「初詣のお賽銭は千円。お札だと目立つので、神様に気が付いてもらいやすい」と答えている人もいました。神様はお金の額にこだわる?

 ご祈祷をお願いするときはたくさんお供えすると答えた方もいて、やはり神様に助けていただくにはそれなりにお賽銭も多くするということでしょうか?そうなると「5円」では心もとなくないのかしらん?

 

 神主さんへお賽銭の意義についてのインタビューもありました。「お供えなので、額はお気持ちで」と無難なお答えです。

 僧侶にもインタビューして欲しかったですね。短時間の間に、仏教的な喜捨の意味を語るのは難しいと思いますが・・・(つづく)

 

日本の宗教事情の入門書ならこれ!

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 今日は、ミネルバ書房から新しく出た『知っておきたい日本の宗教』という本をご紹介します。身近な話題から、現代の宗教事情全般を把握するための良ききっかけとなる本だと思います。

 執筆者の一人岩田文昭先生は、私と同じ浄土宗西山派西山浄土宗)に属する僧侶で、『證空辞典』の出版の時に一緒に働いた方です。ヨーロッパで研究なさった経験もあり、柔軟で偏らない、しかも、とても明快にお話になる方なので、ご一緒に仕事ができたことをとても嬉しく思っていました。

 その岩田先生からいただいたこの本、毎日少しずつ読んでいったのですが、毎月慈雲寺で行っている「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマに取り上げたいような話題が満載!

 もくじを見ても「日本人は無宗教なのか」というタイトルの第一章をはじめとして、「日本では終活が盛んときいたが」とか「日本人は戦死者をどのように追悼してきたのか」、「イスラム教徒用のレストランはあるのか」など、各章それぞれに好奇心を心地よく刺激してくれる話題が並んでいます。「日本の宗教は苦しむ人をたすけているか」などといったなかなか挑戦的なものもあります。

 もしかしたら、この本は大学の宗教学などの教科書として使われることを前提としているのかもしれませんが、幅広い年齢の方におすすめしたいです。

 各章ごとに、それぞれのテーマの入門書、そしてもう少し深く研究したい人向けの本が紹介されています。今どきだなぁ・・・と思ったのは、グーグルやYouTubeの検索キーワードが示されている章があること。ネット検索のコツを覚えることは、これからの勉強に欠かせないと言われているので、これはとても親切・・・なのかなぁ?

 図書館に出向いて、本を探しながら、関連した本や別の話題に出会う幸せも味わってほしいものですが・・・・