慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

正義の殺戮などない

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 今日も一日、パリの銃撃事件のことを考えていました。昨日、言論の自由とテロへの非難を掲げた大規模なデモがパリで行われたとのこと。パリに住む私の友人も参加したそうです。今日のニュースで特に気になったのは、立てこもっていたクリバリー容疑者とテレビ局の人との会話。クリバリー容疑者は「イスラム教徒をそっとしておいてほしかった」と言い、自分たちのしていることを「イスラムに対する攻撃の正当な報復だ」と強調した点です。

 仏教はいかなる理由があろうとも殺人を正当とはしません。自分を殺すことも認めませんから殉教も認めません。ですから、今回の彼らの行動を絶対に容認することはできません。しかし、彼らの行為に「テロ」というレッテルを張り、表現の自由報道の自由に対する攻撃だ・・・と一方的に非難するのにはいささか躊躇してしまいます。アメリカやヨーロッパ各国が参加したイラク空爆は正当なのでしょうか?一連の「テロ事件」が、イラク空爆に参加した国々で起きており、関係性を無視できないでしょう。一方はテロ行為で、狂信的なイスラム教徒の狂った行為で、イラク空爆は正義なのでしょうか?正義の殺戮などあるはずもないでしょう。

 正義を振りかざして暴力をふるう限り、暴力と憎しみの連鎖を止めることはできません。平和を祈る以外に自分が宗教者としてできることはないかと模索する日々は当分続きそうです。

・今日の写真は、デンバー美術館で見た先住民の作品です。現代の作品ですが、テーマは強制的にキリスト教に改宗させられている先住民の姿を描いています。ここにも「正義」の押しつけの悲劇がありますね。