慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

蝋燭の灯りっていいなぁ

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 毎朝のお勤め(勤行)は、正直ちょっとめんどうだなぁと思うこともあります。本堂は寒いし・・・・でも、蝋燭に火をともすときはいつも嬉しい。蝋燭の炎を見ていると心がポカポカと温かくなって、優しい気持ちがじんわり心に広がってくるような気がします。お釈迦様も貧しい人の供える一つの灯りはとても尊いものだと教えています。

 前にも電気の灯りや造花を供えることに意味があるのか?・・・と書いたことがありますが、蝋燭の灯りというのは難しいところです。つい数日前にも、お寺の本堂が全焼したというニュースがありました。何が原因だったのかという報道はありませんでしたが、法要のあった直後だというので、もしかしたら蝋燭の灯りが原因かもしれません。

 最近のお寺はコンクリート造りのものが多くて味気ないという方がありますが、お寺にとって最も避けたいのは火災です。防火の面からコンクリートを選択するお寺も多いのではと思います。そうなると灯りを電灯にという気持ちもわからないではありません。

 でも、大きなお寺などにお参りに行くと、いつも大きな蝋燭や油皿に灯りがともされているのを見かけます。お参りをしていても微かに揺れる炎に照らされた仏様は表情が柔らかでいいなぁ・・・

 カトリックの教会へ行くと、たくさんの蝋燭がキリストやマリア、他の聖人たちの像の前に灯されています。お参りに来る人は数百円程度のお布施を箱にいれて、蝋燭に火を灯していくのです。日本のお寺でも、蝋燭に願を書き込んで供えることもありますね。

 もし、私が一日中本堂にいて参拝の皆様とお話ししたり、法務をしたりできるようになったら、一日中灯明を灯したいと思っています。蝋燭はけっこう高価だし、一日中本堂にいて灯りを見守っていられないので、今は難しいですけれど・・・・

・今日の写真はカナダのウィスラー・スキー場で見たトーテムポールです。両手を前挙げた姿は来訪者を歓迎するというジェスチャーだそうです。