慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

中道と十字軍

 

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日本人がイスラム国の人質になっている事件で、イスラム国の声明の中に「日本は十字軍に加わった」という言葉があるのが強く心に残りました。十字軍は、中世に聖地エルサレムイスラム諸国から奪還するために西ヨーロッパの人々が参加した連合軍です。キリスト教徒の側から語られる歴史では十字軍は「聖地奪還」のヒーローですが、イスラムの人々にとってもエルサレムは聖地。イスラム側から見れば、十字軍はすまじく残酷な戦いをつづけ、殺戮、強奪、強姦を繰り返したと言われています。

 どちらも「正義の戦い」を主張し続ける限り平和は来ないでしょう。

 日本は第二次大戦後、戦争を放棄し、中立を守ることで平和を謳歌することができました。しかし、集団的自衛権の問題をはじめとして、最近の日本の政治のありようは「中立」ではなく、欧米の「十字軍」と一翼とみなされても仕方がない状況だったように思われます。今回の人質事件は単に「身代金目当てのテロリストが日本人を捕まえて、膨大な金額をふっかけてきた」というものではないでしょう。

 仏教は人を殺すことも、殺させることも強く戒めています。いかなる大義名分があろうとも認めはしません。また、仏教では「中道」という考え方を基本としています。対立する概念の極端な一方に傾くのではなく、中道を選ぶのです。修行でも、極点な苦行もよしとはしませんし、反対にどうでもいいやと快楽主義に走るのもよしとしません。

 日本は、一方的に「テロリスト」、「十字軍」というレッテルを貼って決めつけるのではなく、中道を選んで歩み、中立の立場を堅持すべきでしょう。そのためには、ユダヤ教キリスト教イスラム教宗教的背景にもう少し関心を持つことから始めてはどうでしょうか。日本人は世界から見れば「特異」と言ってよいほど宗教に寛容ですが、それは別な角度から見れば、無関心さらには無神経ということもしばしばあります。世界の主な宗教について要領よくまとめた比較宗教学の本はいくつも出版されていますので、改めて読み直してみたいと思う一日でした。

 

・今日の写真は、カナダ西海岸のサンシャインコーストです。静かな入り江を眺めながら、さまざまな宗教的背景を持つ人々が寛いで過ごせるような日が来ることを祈らずにはいられません。