慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

法然上人のご命日と念仏行脚

 

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今日、一月二十五日は日本に称名念仏の教えを確立された、法然源空法然上人)の祥月命日です。法然上人のお徳を偲び、浄土系の各宗派の僧侶たちが集い、京都太秦から長岡京市の粟生野にある西山浄土宗の総本山光明寺まで約十六キロの念仏行脚が行われました。この行事は三十年以上続いている寒行の一つです。

 法然上人が亡くなられてからも、上人のお説きになった念仏の教えは益々広まっていきました。それまでの鎮護国家を中心とする仏教のありかたに真っ向から立ち向かうようなお念仏の宗教的な動きは、多くの既成宗派に危機感と反感を呼んだだのでしょう。お念仏の教えに対する厳しい弾圧は続きました。

 そしてついに、法然上人の御遺骸を東山にあった最初の埋葬地から掘り出し、加茂川に投げ捨てて辱めようという動きまで出てきました。事前にそれを知った弟子たちは、上人の御遺骸を京都盆地の反対側、西山近くの太秦へお移ししたのです。

 しかし、そこにも迫害の手が伸びてきました。弟子たちはさらにそこから、現在の総本山光明寺がある地まで、御遺骸を運びました。追っ手が近づいているのを知りつつ、弟子たちは夜陰にまぎれて小走りで進んだことでしょう。

 昨夜も二百人あまりの僧侶と一般信者の方々が一列になり、念仏を称えながら早足ですすみました。

 粟生野についた弟子たちは、そこで法然上人を荼毘に付したのです。光明寺はそれ以来、法然上人の御本病を御護りする寺として続いています。

 あまり起伏のない道とはいえ、十六キロはかなりの距離。日頃、こんなに歩くことは考えてもいなかったのですが、鎌倉時代の弟子たちの気持ちを想像しながら大きな声でお念仏を称えながら進むと、少し興奮状態になるのか足がどんどん前にすすみました。

 来年はぜひ、慈雲寺にご縁のある方々とご一緒に歩みたいと願っています。

・今日の写真は光明寺のきれいな写真を使おうと思ったのですが、拉致されていた湯川さんが処刑されたかもしれないという訃報にふれ、ご冥福を祈るいみで阿弥陀様のお姿を掲げました。