慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月29日(日曜)10時より行います。テーマは「末法の時代に生きる」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

尼僧としての出家のすすめ (尼僧寺院の存在意義 Part 3)

ー後継者不足で年々少なくなっている尼僧寺院の存在意義について書いています。今日は三回目ですー

 

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 僧侶になることは誰にでもおすすめできることではありませんが、女性の生き方の選択肢の一つとして、ぜひ考えて欲しいと思っています。僧侶になることを「出家」といいますが、日本の僧侶の多くは結婚して家族を持ちながら寺に住んでいます。家から出ているわけでなないのです。僧侶どうしでも「山田さん」とか「鈴木さん」とか、家の名で呼び合っています。

 昔の僧侶はかなり著名な人でも、出家前のことはあまり良くわからないことが多いのです。つまり、いったん僧侶になったら、その前のことは無関係と思われていたからでしょう。家を出て、それまでの俗世のことと無縁になって僧として新たに生き始めるわけです。でも、今は寺院の子息に生まれた人が、そのまま僧侶になり、自分も家庭を作って、子供を育てていく・・・という風になっています。

 前回お話ししたように、僧侶としては女性も男性も区別はありませんから、女性の僧侶が結婚して家庭を持っても何も問題はありません。結婚したまま出家する人もいます。しかし今でも、尼僧寺院の住職や弟子のほとんどは独身です。自分の子供ではなく、縁を結んで弟子を取っているのです。

 尼僧寺院は檀家の少ない小さなお寺が多いですから、大きなお寺の月参りを代行したり、仏事のお手伝いなどをしてお寺を維持していきます。お花やお茶を教えて生活費を作っている尼僧も多かったようです。慈雲寺の先代さまは着物の仕立てを教えていたそうです。私は旅行ライターや通訳、翻訳の仕事で自分の食い扶持を稼いでいます。

 生活はけして余裕があるとはいえませんが、「家を出た」尼僧の暮らしには、究極の自由があります。つつましい暮らしも恥ずかしくはありませんし、結婚しないことの言い訳も不要です。自分を飾る必要は全くなくなりますし、他人を羨む気持ちからも自由になれます。いつも阿弥陀様と一緒に暮らせますから、孤独とも無縁です。私のような何かにつけて行き届かない人間でも、のほほんと生きていかれます。庭の木々を愛で、空の広さを楽しみ・・・掃除はちょっと大変ですけど・・・・

 出家は本質的には「人生の完全リセット」。失恋とか何か人生に躓いたとかで出家を考えるのは、あまりおすすめできませんが、本当の意味で自由になりたければ、出家も選択肢の一つに加えてください。後継者を求めている尼僧寺院はあちこちにあります。ただし、今後のことを考えると自立した仕事を持っていることが条件になるでしょう。できれば、お寺にいてできる仕事がベストです。宗教法人の運営に携わるのですから、社会経験があり、世間知にたけていることも必要でしょう。そして何より、人々の苦しみに寄り添おうとする深い信仰心も必要です。 

 ・今日の写真はベナレスから見たインダス川の夜明けです。