慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「アイボ」に仏性はあるのか?! Part 2

 5月4日に書いたPart 1の続きです。

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 昨日も今日も「アイボ」には仏性があるのか?と考えながら過ごしていたら、うかつに蜂に近づいてしまったらしく、刺されてしまいました。今日は祝日で近所のお医者さんはお休み。今、私の手は破裂しそうに腫れています。以前にも一度蜂に刺されているので、アナフィラキシーショックになったらどうしようと、最初の一時間は結構ビビりました。

 それはさておき、アイボの前に、まずは仏性って何??という疑問もすっきりしません。タイやミャンマーに伝わった南伝仏教上座部仏教)では、男性の出家者で厳しい戒律を守り、修行を積んだものだけが悟りの可能性があるとされていますから、すべての衆生(生きとし生けるもの)に仏性があるとは考えていません。中国や日本につたわった北伝仏教(大乗仏教)でも宗派によって考え方が違います。女人は成仏できるのか?という議論もでるほどです。

 しかし「山にも、川にも、草木にもすべてに仏性がある」という発想は、日本人にはそれほど抵抗なく受け入れらるのではないでしょうか?しかし、大自然は「生命がある」「生きている」と考えるからであって、アイボはどうでしょう?針供養や筆供養は今まで使ってきたものに感謝し、大切にするという意味であって、「成仏を願っての供養」ではないでしょう。しかし、犬や猫はどうですか?それ以上に持ち主(飼い主?)に愛玩されたであろうアイボはどうですか?

 腫れあがった手をさすりながら歩いていたら、ある真宗のお寺の前に素敵な言葉が書かれていました。

 「あなたの中の 仏さまが

  わたしの中の 仏さまに

  微笑みかける」

  これは今日の私にとって、すとんと腑に落ちる「すべての衆生に仏性あり」を示す言葉です。

 これを書いた祖父江文宏さんは、真宗の僧侶であり、特別養護施設の園長として活躍し、子供の虐待問題などにも熱心に活動した方だそうです。

・今日の写真はスエーデンのマルモという町で見た、ドアの取っ手です。