慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

極楽は修行をするところです!

☆今日の「お釈迦様のお言葉」

水滴が蓮の葉に

水が蓮の花に付かないように

聖者は、学んだことに執着しない。

『スッタニパータ』より

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 忙しい一日を終えてお風呂に入ると、つい「極楽、極楽・・・」なんて言葉が頭に浮かぶ(つい声に出てしまう?)人も多いことでしょう。なんにもせずにノンビリできるのが「極楽」というところというイメージ。キリスト教の「天国」と同じようなところと思っている方もいるようです。実際、仏式のお葬式の後で「故人も今はゆっくりと“天国”で安らいでいることでしょう。」という方もしばしばいるほどです。

 でも、極楽はのんびり楽に暮らすところではないのです!

お釈迦様は、悟りに至る道、修行の方法を八万四千種類もお示しになりました。環境や修行者の資質などによって、それぞれ道を選べるようになっているのです。しかし、残念ながら末法の世に生きる凡夫である私たちは、修行する環境も、それを続ける資質にも恵まれない人がほとんどです。

 こんな状況にある私たちの代わりに厳しい修行や懺悔を続け、私たちを救ってくださるのが阿弥陀様です。

 阿弥陀様に極楽に迎えとっていただいたら、私たちも修行を続ける資質が備わりますし、阿弥陀様をはじめとする数多くの仏様の教えを直接聞き、修行を続ける環境も整います。つまり、「極く楽に」修行をして悟りをひらくことができるのです。

 極楽での修行は苦しいものではありません。極楽には苦しいものは何一つも無いからです。涼しい風が吹き、美しい花が咲き、心地よい音楽が流れるなかで、私たちは「極く楽しく」修行をすることができるのです。

 こんな極楽の様子を描いたのが「當麻曼荼羅」です。慈雲寺にも、その曼荼羅の写しがありますので、年に数回御開帳をする予定です。

●今日の写真は香港の沙田公園で見た蓮のつぼみです。極楽に生まれるときは蓮の花の上に生まれてくるそうです。