慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

広島の被爆から70年

◎今日のお釈迦様の御言葉

 

わたしは貪欲を

洪水、激流と呼ぶ。

感覚的快楽は

渡りがたい欲望の泥沼である。

 

今枝由郎訳 『スッタニパータ』より

 

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今日で広島に原爆が落とされてから70年です。投下された8時15分には、慈雲寺の本堂で一分間ゆっくりと伏せ鐘をたたき、原爆で亡くなられた方々のご供養をさせていただきました。

 私は、原子爆弾を開発したマンハッタン計画の中心になった、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所に取材に行ったことがあります。原爆の開発に関する展示の中で、特に胸を強く打たれたのは、研究者たちが仕事の合間に野球をしている写真でした。楽しげに笑顔を見せて走る人々の写真は、彼らの研究によってどんなことが起きたかを思うと深い哀しみを感じないではいられません。ロスアラモスの末端で研究していた人々は、戦後、自分たちのしたことをどのように考えていたのでしょうか?

 また、私がカナダの大学院にいたとき、教授の一人が「戦争を早期に終結させるために原爆投下は仕方がなかった。」と言ったとき、私は反論のための十分な論拠も、それを説明する英語力も無くて、吐き気がするほど悔しい思いをしました。「日本の主要都市を火の海にして、非戦闘員を何十万人も虐殺しておいて、結果オーライと本気で思っているのか?!」と英語できちんと言えなかったことを今でも夢に見るほどです。

 そして70年たって、日本は他国軍のために核兵器を運ぶことも可能になるような安保法案を成立させようとしています。歯止めのない法案の危険性を深く認識する必要があるでしょう。

 原爆ドームに置かれた「過ちは二度と繰り返しません」と書かれた石碑は、人類全体が過ちを認め、二度と繰り返さないことを誓った言葉だと思います。日本は憲法によって、その理想を貫くことを宣言してきました。それによって70年間、戦死者を出さずにくることができたのです。

 原爆ドームは戦争の愚かさ、大量破壊兵器の残虐さを今も強く語り続けています。

●今日の写真は北極海に浮かぶ氷山です。海の上に出ている部分はほんの一部。海の中には巨大な氷塊があります。