慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

長崎原爆の日に

◎今日のお釈迦さまのお言葉

おびただしい富あり、黄金あり

食べ物がありながら

自分独りだけでおいしいものを食べる。

これは破滅への門である。

 

今枝由郎訳 『スッタニパータ』より

 

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 昨日は長崎原爆の日でした。原爆が投下された午前11時02分に鐘を鳴らし、被爆された方々への回向をさせていただきました。

 長崎原爆の日というと、私はとても恥ずかしい思い出があります。高校三年生の夏休み、私はインド観光局とジャパンタイムス社が募集した作文コンテストに入選し、学生記者としてインド旅行に招待されました。そして、このときの旅行記を「ジャパン・タイムス」新聞に掲載してもらいました。これが、私の旅行ライターとしての仕事の第一歩になったと言って良いでしょう。

 私は“記者”として大張り切り!「鋭い観察眼でインドを見るぞ!」と傲慢なことを思っていたのですが、インドは大きくて、深くて、混沌としていて、私はただの愚か者の高校生でしかないということを思い知らされただけでした。観察どころの騒ぎじゃない!

 一般的な観光地を訪れるだけではなく、インドのさまざまな面を見ることのできるスケジュールだったのに、振り返れば、な~~~んにも見えてなかった。情けなすぎる。例えば、私はマザーテレサの施設へ行ったはずで、おそらくマザー・テレサにもお会いしているはずなのに、全く何も覚えてない。本当に残念。

 最も恥ずかしいのは、8月8日にタゴール大学へ行ったとき、そこにいた仙人みたいなお爺さん(たぶん、有名な人だったのだと思うけど、私は全く関心なくスルー気味)が「今日は原爆が落とされた日だね。」と言うので、私は「え?原爆記念日は8月6日ですよ。」と生意気に言い返しました。するとそのお爺さんは「いや、長崎の日は今日でしょ?」と静かに問いかけてきたのです。私は、自分のうかつさが恥ずかしくて消えたいくらいでした。

 せっかく素晴らしいチャンスを与えてもらったのに、自分の受信機があまりにも貧しくお粗末だったために、せっかくインドが発信してくれたものの大部分を受け止められなかった。本当にもったいないことをしました。

 この時の情けない気持ちは、今も鮮やかに思い出します。毎年8月8日が来るたびに、「きちんと目を開き、耳を澄まして生きて行かなくては」と思うのです。

 長崎原爆によって亡くなられた方のご冥福を心からお祈りいたします。

●今日の写真は北極海に浮かぶ島で見た北極うさぎです。