慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

百歳越えでも知的好奇心満々!

◎今日のお釈迦さまのお言葉

もろもろの感覚的快楽を

貪り求めれば

煩悩に圧倒され

災難にみまわれ

壊れた船に水がしみ込むように

苦しみが入り込む

 

今枝由郎訳 『スッタニパータ』より

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 ここ数日、お墓の管理費を納めに来てくださる方が、次々とお寺にいらっしゃいます。幸い、少し涼しい日が続いているので、エアコンの無い玄関先でも座っていただけます。玄関の戸を開け、扇風機をつければ、とても良い風が吹き抜けまおbす。

 冷たいお茶をお出しして、少しお話しをうかがいます。これがとても楽しい!

 先日は、104歳と95歳のご夫婦が、義理の娘さんとご一緒に訪ねくださいました。この方々とお目にかかるのは、私が住職になってから二回目。初めてゆっくりお話しできました。ご夫婦は二人とも矍鑠(かくしゃく)としていらして、お話しも弾みます。どうやら、毎朝新聞もしっかり読み、お仏壇や神棚へのお参りも欠かさないそうです。

 お話ししていて印象的なのは、あくなき“知的好奇心”です。わからないことがあると、どんどん電話して質問するらしい。本で調べたりもするそうです。こういう方々にこそ、使いやすいパソコンとネットの検索サイトがあるといいのに・・・・私の父も80歳の半ばを越えてからパソコンをはじめたのですが、映像の編集やメールのやりとりも楽しんでいます。「年だから」とあきらめず、パソコンを始めてみてはいかがでしょう。

 知的好奇心は生きている証し。何歳になっても好奇心は脳を刺激して若さを保つ大きな役割をはたしているそうです。

 一人静かに瞑想するのは仏教徒にとって大事な修行のひとつですが、僧侶にとっては「論議」も同じように大事な修行です。人と会話をし、「自分の知らないこと」に出会うことは脳をリフレッシュさせ、活動を活発化します。家の中でテレビを見ているだけでは脳は活動しません。

 体と脳をいっしょに使えば理想的。お寺に来て、信仰の友と出会い、いろいろ話をすれば、体を使い、脳を使うのにベストの状況でしょう。

 どうか遠慮なく慈雲寺をそういう場として利用してください。本堂には手ぶらでいらしても写経ができるようにご用意しています。

●今日の写真は、カナダのモントリオールで見た、街角の自転車です。