慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

経典に出てくる「数」の比喩が面白い!Part2

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 法蔵菩薩さまは、私たちすべての凡夫を漏れなく救うと誓いを立てられ、その為に必要な修行や懺悔を「五劫」もの長い、長い間、私たちに代わって成し遂げて下さり、とうとう阿弥陀仏になられたのです。

 この「五劫」というのは、どのぐらいの長さなのでしょうか?前回お話しした「恒河沙」のように、経典には「これはなんでも大げさ過ぎるだろう!」とビックリしてしまうような比喩が出てきます。これもインドの人々のイマジネーションの豊かさなのでしょうね。

 「劫」は、もともとヒンズー教などインドの古代哲学の宇宙論の中で使われていたものです。一つの「劫」は宇宙(世界)が生まれて消滅し、また新たな宇宙が生まれるまでの一つのサイクルの長さです。経典の中に出てくる比喩で最も有名なのは、一辺が20Kmもある巨大な岩に、100年に一度天女が舞い降りてきて、その衣で岩をふんわりと触れて、天に昇っていく。これが繰り返されて、岩がすり減るまでの長さだというのです。天女が舞い降りる頻度や3年に一度とか、1000年に一度とか異説がありますが、ともかくとてつもない長さです。

 もう一つの比喩は、これも一辺20Kmもある巨大な城を芥子粒でいっぱいにします。そして100年に一度、芥子粒を一粒取り出して、それがすべて無くなるまでが「劫」だそうです。前回の「ガンジス河の砂」と似ていますね。

 法蔵菩薩さまは、なんと!この「劫」が五回も繰り返されるほどの長い間、私たちのために修行してくださったのです。

 ボストン美術館へ行ったとき、法蔵菩薩さまの修行時代のお姿を刻んだ小さな像に出会いました。体中に力がこもっていて、どれほど懸命に修行してくださっているのがグイグイ伝わってくる気がしました。でも、お顔は穏やかで愛らしい。なんだかとてもうれしくなりました。

◎今日の写真はプレインカ時代の水差しです。コロンビアのカリといいう町で見ました。ミミズクでしょうかね?胴のふくらみぐあいが愛らしいです。