慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「パリ同時多発テロ」の記事を読んで

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 昨日からずっとニュースを追っています。先週、コロンビアから帰国するとき、パリの空港で飛行機を乗り換えたばかりです。幾つかのスポーツイベントも中止になったようですし、スポーツや観光は平和でなければ成り立たないものだと、改めて思いました。

 新聞の記事を読むとフランスの大統領がいちはやく「ISの犯行」と断定し、報復行動に出る姿勢を見せています。仏教では、いかなる大義名分があろうと人を殺すことを許してはいません。暴力は報復を生み、憎悪を増幅させていきます。

 暴力的な示威行動を認めるわけには絶対にいきません。しかし、ヨーロッパ諸国やアメリカが今までも、今も、どれほど暴力的な行為を中東の人々に行ってきたかということも忘れてはならないでしょう。

 このところ、コロンビアやエクアドルなど、南米の国で仕事をする機会がありました。スポーツイベントの通訳として帯同しただけですから、それぞれの国の事情に触れる機会はあまりありませんでした。しかし、エクアドルでカカオの大規模農場の跡を訪れたとき、この国の人々が凄まじい搾取をされてきたのだということがヒシヒシと伝わってきました。

 コロンビアからの帰途、オランダのアムステルダムで半日過ごしたときも、この国でいわゆる3Kと呼ばれるような仕事をしている人のほとんどが中東やアフリカ系の人であることに気が付きました。掃除や荷卸しなどをしている人のほとんどがそうですから、すぐに目についたのです。社会の格差が大きくひらいているのも目立ちました。

 私は「日系移民」としてカナダで40年を過ごしたわけですが、カナダのように建国の最初から移民によって作られた国でも、人種や生活習慣の違いを越えて調和のとれた社会をつくるのは難しいと感じました。

 ましてや、3K仕事をさせるために旧植民地から移民を受け入れてきたヨーロッパなどでは、経済格差が広がれば広がるだけ、社会不安も深まっていくことでしょう。暴力は許されるべきではありませんが、“怒り”の原因にも目を向けるべきです。強権を使って押さえこもうとしても問題は解決しないでしょう。

 今回の事件は、日本にとっても無関係ではありません。ましては新安保法案を受け入れ、「戦争のできる国」へと歩み始めてしまったということは、「怒りの対象国」になったということでもあります。

 こんな時こそ、仏教徒は徹底的に非暴力を貫き、恨みで恨みを消すことはできないと声を上げるべきでしょう。亡くなられた方々のご冥福を祈りたいとおもいます。

◎今日の写真は散紅葉に覆われた総本山光明寺の境内です。3年前の12月初めに撮影しました。