慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

家族の中の孤独

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「生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり 」

 一遍上人のお言葉です。人間は独りで生まれ、独りで死んでいく。たとえ家族で一つ屋根の下に住んでいても独り。それは一緒に死んでいくことはできないからだ・・・と一遍上人は人間の「生きる」ということの真実を冷徹な目で観察しています。

 仏教の教えは、「生きることは苦だ」という認識から始まります。老いることや病にかかることなどの「苦」だけではなく、「愛する人に出会うことも苦だ」と仏教では考えます。人は出会っても必ず別れが来るからです。たとえ生涯を共に仲良く暮らしても、いつかは死がやってきます。愛が深ければ苦しみもまた深くなる。愛する人に出会えば、執着に苦しむ、失うことを恐れて苦しむなど、さまざまな苦しみの果てに、別れが必ずやってくるのです。

 しかし、それだからこそ、生命は大切にしなければいけないし、人との出会いも丁寧に縁を深めていかなければなりません。人は本質的に孤独なものだからこそ、人と人とのつながりや助け合い、支えあいが必要なのです。

 大切なのは、状況をしっかり観察し適切な行動をとること。行動の基準はお釈迦さまがお示しになった「良いことをする。悪いことをしない。他の人のためになることをできるだけする」という原則です。自分のためだけを優先するのではないことがポイントです。

 また、自分の思いをきちんと言葉や行動で伝えることも大切でしょう。思いを伝えるための語彙を豊かにすることが第一歩です。

 家族と一緒に暮らしていさえすれば孤独から逃れらるわけではありません。家族だから「言わなくてもわかる」わけではありません。思いやりや言葉と行動に出してこそです。

◎今日の写真はスエーデンで見た、20世紀初頭に作られた壺です。なんだか茶道の水差しに使えそうですね・