ときどき新聞などに「独居老人 孤独死」というような見出しが付けられた記事が出ています。なんだかシニアの人が独りで暮らすこと自体が「哀れ」な状況で、独りで死んでいくのはこのうえない不幸のような論調です。
確かに、亡くなってから何か月も見つからなかったりすれば、哀れな状況と言えるでしょうが、もともと、死ぬときは誰でも独りなのです。以前、一遍上人のお言葉をご紹介したときにもお話ししましたが、人は誰でも独りで生まれ、独りで死んでいくのです。だれも一緒に死ぬことはできません。
家族に囲まれていても、独りで住んでいてもお浄土へ迎えとられるときは独りです。朝起きたら、隣に寝ていた伴侶が亡くなっていたとか、病院でいつも介護をしていたのだが、ちょっと買い物に出たときに亡くなられたという話は良く聞くことです。
人は誰でも最後は「孤独死」なのだという現実をきちんと見据えてこそ、人と人との縁を大事にすることや、「おかげさま」ということの意味を理解できるのだと思います。
シニアになっても、自分でできる限り自立して生きることが、かえって他の人とのつながりを深くします。依存ではなく、本当の助け合いをするのが、この世における菩薩行の基本だと思います。
Part2では、夫に先立たれた後、独りで暮らす喜びを知った方のお話しをしたいと思います。
◎今日の写真は東京の旧中山道の板橋宿にある日曜寺で見た紅梅です。慈雲寺の盆梅も明日には咲きそうです!