慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

人間だれでも最後は「孤独死」 Part 2

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  人間は誰でも独りで生まれ、やがて独りで死んでいくものです。だれも一緒には死ねません。例え家族に見守られても、独居でも旅立ちは独りです。しかし、それだからこそ、人々との「縁」によって作られてきたものを大切にすることが、穏やかな暮らしの基本です。

 独り暮らしはけして「不幸」なことではありません。独りで暮らしていても、人とのつながりを育むことはできるし、阿弥陀様は必ずそばにいてくれるからです。

 先日、ある方の法事があって、お食事の時に80代初めぐらいの女性と向いあう形になりました。そのお隣には、その女性(Aさんとしましょうか)の娘さんが座っていらっしゃいました。

 いろいろお話ししていくうちに、Aさんが独り暮らしであることがわかりました。しかし、とても楽しそうに日常生活のことを話されるのです。特にいろいろ工夫して料理をするのが楽しいそうです。

 実はAさんは本当の「箱入り娘」さんだったようで、結婚してからも料理が趣味の夫が食事を作り、家事の大半はお手伝いさんまかせ・・・・夫に先立たれたときは、食事もろくにできないほど落胆して、ほとんど鬱病状態だったそうです。

 その状態から抜け出すきっかけになったのが、デイサービスの料理教室。デイサービスに出かけて、たくさんの方に会い、独り暮らしに合った料理を習う。そして自宅に帰っていろいろ工夫してみる。Aさんの暮らしはだんだん変化していったそうです。

 「毎日ね、何を作ろうかと思うと楽しいの。買い物も楽しみ」とAさんはニコニコ。「そとに出れば、いろいろな方に会える。今日も庵主様に会えてとても嬉しい」と、言いながら可愛らしい笑顔を見せてくれました。

 娘さんも、「サポートはするが、独り暮らしを楽しんでほしい」という姿勢。母親の尊厳に満ちた、新しい暮らしを喜んでいるようです。

 もちろんAさんが病気になったり、体が不自由になったら、今の状態を維持していくのは難しくなるかもしれませんし、ふとさみしくなることもあるでしょう。しかし、独り暮らしの良さを見つけ、育み、楽しんでいるAさんは、大切なものを見つけたのだと思います。

 信仰に生きることは、苦しい「孤独」ではなく、阿弥陀仏というとても優しい仏さまと共に歩くことです。どうしても、さみしいときは、お寺に来てくださいね。阿弥陀様のやさしい笑顔に会えますよ。

◎今日の写真は香港のお寺で出会った羅漢さまたちです。なんだか楽しそうに何を話しているのでしょうか?