慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

お布施は全てご本尊とお寺への供養です。Part2

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 昨日(2月15日)の記事の続きです。

 曹洞宗の本山の高僧たちに、一般の僧侶が面会するとき、手土産代わりに「拝問料」を差し上げるのが習慣になっているという記事が2月13日の中日新聞に出ていました。

 高僧にお目にかかってお言葉をいただくのに、手ぶらでは行かれないという気持ちは理解できます。お菓子のような物のお土産が集まり過ぎるのも大変でしょうから、現金で・・・というのも、わからないではない。でも、お寺の中で高僧にお目にかかるのは、教えを受けるためですから、宗教的活動だと思います。たとえ単なるご機嫌伺いや季節の挨拶だけだったとしても、そこに教えがあるから「高僧」と言えるのではないでしょうか?

 宗教活動によるお布施は全てご本尊とお寺に捧げられたものと考えるのが当然だと思います。

 今回の記事で一番驚いたのは、総持寺の顧問弁護士で、ご自身も僧侶である方の言葉です。「仏教的には布施は僧侶個人の収入で、今回の拝問料も同じ考え。」とし、受け取った高僧の個人収入を認め、課税は仏教的には問題だというのです。

 う~~ん・・・確かに、歴史的には遊行中の僧侶が托鉢で得た食事を自分に対する供養として食べるということはあったでしょうし、ある特定の僧侶を供養したいと思う人もいるでしょう。しかし、寺院に所属している僧侶は、托鉢で集めたものを自分に与えられたものだからと独占するなんてことがあるでしょうか?仲間の僧侶と分け合うでしょうし、お寺を維持していくためのものとして、まずはご本尊に捧げるでしょう。

 ほとんどの僧侶は、お布施をしてくださる檀信徒のみなさまのご苦労をよく知っています。お預かりしたお布施は、一円もおろそかにせず、お寺の維持や教えの流布、そして僧侶の質の向上のために使おうと考えていると思います。

◎今日の写真は岐阜県美濃市に残る江戸時代の美しい建物です。