慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

善因善果・悪因悪果

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 日本には「恥の文化」があると良く言われます。しかし、この「恥」も、人に見られて初めて感じる・・・という面があるのを否定できないでしょう。これを補うのが「お天道さまが見ている」とか「ご先祖様が見ている」という教えです。しかし、「人に見られる」ほどパワフルな抑止力にはならないでしょう。

 仏教では、人に見られているかどうかは全く関係がありません。自らの行動の結果は自分独りで引き受けなければならないと考えます。良い因を作れば、良い結果が出るし、悪い因を作れば結果は必ず悪いこととして自分に帰ってくるというのです。「因果応報」ということですね。

 また、仏教では人間はなんども輪廻を繰り返し、さまざまな「業」を背負って、今ここに生きていると考えています。ですから、「生まれてこのかた良いことしかしていないのに、なぜ悪果が自分に降りかかるのか?」と思うことがあっても、実は自分が長い長い輪廻で積み重ねてきた業の結果なのです。しかし、なにもかもを「業」のせいにして善因を作らなければ、さらに悪業を重ねることになってしまいます。

 忘れてならないのは、今、此の世に人間として生まれ、仏様の教えに出会えたということは、きわめて稀有のことなのです。正に善果を受けているのですから、このチャンスを大切にしなければならないでしょう。

 とはいえ、私たちは末法の時代に生きていますから、善因を積み重ねるのはけして容易なことではありません。そんなときこそ、全ての人をその身そのままで救ってくださる阿弥陀さまのお慈悲をありがたく受け止めたいものです。

◎今日の写真は農家の軒先につるされていた唐辛子です。寒風に晒らして乾すと辛味を増すのでしょうか?辛いものの苦手な私ですが、お日様を受けて赤く輝いている唐辛子はとてもきれいだと思いました。