慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

老尼のご遷化を見送る

f:id:jiunji:20160322205403j:plain

 一宮市の西端、木曽川の川岸に位置する地蔵寺は、大きなお寺ではありませんが、近隣の方々から深い敬意を受け、行事のある時には本堂がいっぱいになるほどの信者さんが集まるそうです。

 この地蔵寺は尼僧寺院として今まで続いてきたのですが、一時は10人近くの若い尼僧がここで修行をしていたそうです。慈雲寺の先代さまも実は、この地蔵寺で修行をされたのちに、慈雲寺へ赴任なさったのです。

 先日、お彼岸に入ったばかりの日に、地蔵寺の現住職である老尼が94歳で極楽へお戻りになりました。彼岸中であったことから、葬儀は少し先に延ばされ、昨日がお通夜、今日は本葬となりました。慈雲寺先代と地蔵寺は兄弟弟子の中ですから、私も僧侶のつながりとしては「親戚」のような立場でお見送りさせていたくことになりました。

 私が慈雲寺の弟子になった3年前には地蔵寺さまが、「慈雲寺のあとを継いでくれるのは本当にうれしい」と言ってくださり、不安でいっぱいだった当時の私にとっては何よりの励ましでした。しかし、二年前、妹弟子だった慈雲寺の先代さまが先に遷化されてしまい、葬儀に出席してくださった地蔵寺さまは、本当にさみしそうでした。

 それから間もなくして、地蔵寺さまは体調を崩され、そのまま一年以上を病院で過ごされたのです。お見舞いに行き、耳元で大きな声で「慈雲寺です」と呼び掛けると目を開いて、私の方を見ようとしてくださいました。私だとわかって下さったのか、それとも先代さまと混同なさっていたのかもしれません。

 老尼の旅立ちは、私にさまざまなことを考えさせてくれました。人の命は必ず果てるのですから、僧侶はいつ旅立っても良いように、きちんと覚悟をし、用意もしておくべきでしょう。きちんと片付いた地蔵寺のたたずまいに胸を打たれました。

 慈雲寺に戻って、乱雑な自室を見て、「今夜はお浄土へは行けないな」と思う情けない私です。

◎今日の写真は約3000年前のコロンビアの遺跡から発見されたペンダントです。何か宗教的な意味があるような感じですね。