慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

相手を思いやる心が「布施」になる

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 今日も私が最も苦手な質問・・・「ところで、お布施はいかほど・・・」が飛んできてしまいました。質問をなさった方は、とても申し訳なさそうなお顔。私も、困った顔で数秒沈黙してしまいました。

 ここにも何度も書きましたが、僧侶がお経をあげたり、宗教儀式を行ったり、仏教の教えについて語ったりするのは、すべて「法施」という布施の一つです。つまり、布施行という修行のひとつなのです。ですから、「仕事」ではありません。仕事には必ず対価が発生しますが、「修行」はお金で購えるものではありません。

 お経をあげてもらったり、法を説いてもらったり、「法施」を受け取る側は、仏様への供養や信仰の場としての寺院を維持するためにお金などの「財施」を行うのです。これも布施行という修行のひとつです。ですから、布施の額は財施をしようという「気持ち」を形にすることで決まるのです。

 いくらなら「大盤振る舞い」ということもありませんし、「失礼のない金額」という基準もないのです。

 布施の基本は「相手を思いやる心」です。これからも仏の教えを心のよりどころとし、癒しの空間としての寺院を盛り立て、そこで修行する僧侶を支えようという気持ちが大切です。

 もちろん、僧侶の側もしっかりと法施を続けていくために日頃の行動を律し勉強を続けていかなければならないでしょう。

 う~~ん・・・それでも、やはり「金額」は気になりますか?ネットで僧侶を派遣してくれる会社の「明朗会計」の方が良いでしょうか?でも、その「格安価格」には、長い年月にわたって、心の支えになる「法施」は含まれているのでしょうか?嬉しいとき、哀しいとき、さみしいときに、あなたが静かに祈る場としての寺院は含まれているのでしょうか?

 お布施のことをうまく説明するのは、なかなか難しいことです。

◎今日の写真はウズベキスタンで見た人形です。どうやらイスラム教の宗教家がお説教をしている姿のようです。