日本は今日、他国へ出て武力を行使することができる国になってしまいました。たった70年前に、あれだけの犠牲を払って、「もう二度と、紛争を武力で解決しない。他国を武力で侵略しない。」国に生まれ変わったのに・・・今日は一日深い悲しみと無力感に襲われていました。
高校生のころ、私は何度も「なんで、あんな馬鹿気た戦争に出て行ったのか?勝てるわけなかったでしょうに」と父を責めました。父は将校としてインドネシアで戦っていたからです。
今の私たちも何年かたったら、「なぜ、安保法などという馬鹿気た法案を唯々諾々と成立させてしまったのか?」と責められるようになるのではないでしょうか?戦争に巻き込まれるということは、こんな風に「あれ?なんかへんだなぁ?」と思っているうちに取返しがつかないことになるのかもしれません。
「一億総活躍社会」という気味が悪いスローガンが、「進め一億火の玉だ!」や「欲しがりません勝つまでは」に変化していくのではと危惧しています。
仏教徒はいかなる理由があっても、人という得難い「命」を奪ってはなりません。「愛国」などの美辞麗句に惑わされることなく、「殺さない」「殺させない」という姿勢を保つのが仏教徒の生き方の基本です。
国を愛するならなおのこと、「武力で問題を解決する国ではない」という日本国憲法の精神を忘れてはならないでしょう。
毎朝のお勤めの時、多くの寺院では世界の平和や「武器を用いる争い事がおきないように」と願う祈りがささげられます。慈雲寺でも心を込めて祈っています。
◎今日の写真はコロンビアのカリという町の旧市街にある修道院の中庭です。美しい花が咲く、癒しの空間でした。