慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

貧乏とはなんでしょう?

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 今日の中日新聞の一面に、「世界で一番貧しい大統領」として知られる、南米ウルグアイの前大統領、ホセ・ムカヒ氏の来日の記事が出ていました。ムカヒ氏は、安保法を「大きな過ち」と非難し、「軍事費で無駄遣いされているお金を貧困や環境問題の解決に使うべきだ」と述べたそうです。

 いろいろな意味で考えさせられる記事でしたが、特に心に残ったのは、ムカヒ氏が大統領在任中に国連の会議で行った演説の中の言葉です。

 「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に多くを必要とし、もっともっと欲しがることです。」

 ムカヒ氏のこの言葉は、仏教の教えにも通じるものです。私たちは「思い通りにならない」、「求めても得られない」ことに日々苦しんでいます。あるものを欲しがって、それが手に入っても、その満足は長くは続かず、すぐに次のものを「欲しい、欲しい」と求めてしまいがちです。

 お釈迦さまが臨終にあたって最後の教えを説いたとされる『仏遺教経』には
「知足の人は地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処(しょ)すと雖も亦意(またこころ)に称(かな)わず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。」とあります。

 もっともっとと欲しがって欲望の奴隷になってしまうのではなく、「これで足りている」というのを知っている人は、地面に寝るような境遇でも心は安らかだ。しかし、いつも「足りない、足りない」と思う人は宮殿に住んでも不満だらけ。こんな人は物質的には豊かでも、貧しい人なのです。

◎今日の写真はロッキー山脈で見た野草です。あと数か月はロッキーはまだ雪の中でしょうが・・・