慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

9月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は9月24日日曜10時より行います。テーマは「彼岸へ至る道の歩み方」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

霊を見る人

 

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「私、霊が見えてしまうんです。肩にずしんと重みがかかったような気がして、腕輪の水晶の色が赤くなってしまって・・・」

 ときどき、「霊感が強い」という話をしてくださる人がいます。私はいわゆる「常識」ではとらえきれないものがあることを否定するつもりはありませんし、「見えている」と思う人にとっては「それ」は存在しているのですから、頭から否定しても意味がありません。

 ただ、仏教では「妄想」にとらわれることを厳しくいましめています。心の中に強い罪悪感のようなものがあれば、風にゆれる枯れ尾花が幽霊に見えることもあるでしょう。強く心にわだかりがあれば、風の音や家が自然にきしむ音が何か特別なものに思えることもあるでしょう。人は自分の心でたくさんの「存在」を生み出してしまいがちだからです。

 僧侶たちが読んでいる『月刊住職』という雑誌には、東日本大震災被災地で、「霊を見た。」とか「亡くなった人の声が聞こえた。」などと僧侶に相談する人が増えているという記事が出ていました。これは震災が起きてから5年が過ぎても、まだ多くの人々の心に深い傷が残っていることを物語っているように思えます。亡くなった方々の声というより、生き残った人々の心の哀しみの声が聞こえるのではないでしょうか?僧侶として何ができるのか、何を続けていかなければならないかという問いの声でもあるのです。

 もちろん、脳に腫瘍ができたり、統合失調症などの病気が原因で幻覚が見えてしまう可能性も否定できません。

 いろいろな理由が考えられますが、私がいつも気になるのは、自分は「霊感が強い」という人の声の調子からただよってくる「自慢」のにおいです。霊感が強いということは、「自分は特別である」という宣言です。他のどの面でも平凡な人間が「霊を感じる」だけで特別感を味わえるとしたら・・・なんだか哀しい気もします。

 極楽へ行った人は、阿弥陀様のおそばで菩薩の修行を続けています。そして菩薩となった人々は、今を生きる私たちをいつも救おうと手を差し伸べていてくれるのです。阿弥陀様とそのお手伝いをしている菩薩たちの慈悲の思いはいつでも私たちとともにあります。「霊感」が特別強くなくても、心の平穏というもので、誰でもそれを実感できるのが仏教の教えです。

 

◎今日の写真はカナダのバンクーバーにある、クィーン・エリザベス公園に飾られたヘンリー・ムーアの彫刻です。ゆるやかな曲線が不思議な癒しを感じさせてくれます。