慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

10月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、10月29日(日曜)10時より行います。テーマは「末法の時代に生きる」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

嵐の憲法記念日

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 今、外はヒュウーヒュウーと音をたてて風が吹き、激しい雨が窓ガラスをたたいています。本堂の屋根瓦は大丈夫でしょうか?とても不安な気持ちになります。

 今日は憲法記念日です。第二次大戦が終わり、まだ爆撃で破壊された街はまだ復興からは程遠い状態だったときに、人々はどんな思いで新しい憲法の発布を受け止めたのでしょうか?

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正を信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 この憲法前文は、膨大な犠牲を払って私たち日本人が獲得した世界に誇るべきものの宣言です。武力で紛争を解決しないことを決意したことによって、私たちは国際社会で「名誉ある地位を占めたいと思ふ」と考えたのです。

 仏教では、いかなる理由があろうとも争いを暴力で解決することを禁じています。「戦争」や「国家」という大義名分があっても、人間を殺すことは厳しく戒められています。

 残念ながら、日本の伝統的な仏教教団は第二次大戦中、この仏教のもっとも重要な「戒」を破り、むしろ積極的に戦争を支持してしまいました。「国の大義に殉じて戦うことが阿弥陀仏の御心にかなう」とまで言った宗教家もいました。

 戦後、多くの教団は「政府の都合に合わせて、自宗の教えをねじまげる」ことのないようにはどうすればよいかという議論が交わされました。

 政府は憲法改正に向けて強く働きかけようとしています。自民党の改正案には「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」という言葉が入っています。国民より「国」の存続を優先する不気味な意欲を感じてしまうのは私だけでしょうか?

 今晩はもう一度、私たちの憲法、とくに憲法の目指すところを示した前文を読んでみたいと思います。

◎今日の写真はバンクーバーのクィーンエリザベス公園のサンクン・ガーデンです。バンクーバーの町の石畳用の石を切り出した跡を庭に生まれ変わらせたのだそうです。サンクン(沈んだ)というのは、がけの上から見渡すのが、この庭の楽しみ方。崖下に沈んだ庭園ということです。