慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

先代さまの姉弟子の法事

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 私は二年前に慈雲寺の第五世として住職に就任しました。本来なら、四世であった先代さまのもとで修行し、僧侶としても寺の運営者としても一人前に育てていただいてから住職を譲っていただくはずでした。しかし、弟子にしていただいた後も、私はそのまま海外に住み続けていたので、直接教えを受ける機会はほとんどありませんでした。本当に残念なことです。

 おかげで、住職になって丸二年が過ぎても私はおろおろするばかりです。

 先代さまの生い立ちについても、ゆっくりお話しする機会がありませんでした。古い書類に、先代様が満州の高等女学校を卒業していると書かれていてビックリ。慈雲寺とご縁が深い方でも、このことを御存じな方はほとんどいないようでした。先代さまは満州から引き揚げてくるときに、何かつらい思いをなさったのでしょうか?出家なさったのは、日本へ戻って間もなくのようなのも気にかかりますが・・・・

 先代様は尾張一宮市にある地蔵寺という尼僧寺院で修行をされてから慈雲寺にいらした方です。一宮周辺には尼僧寺院がたくさんあります。その多くの寺院が後継者問題に悩んでいて、跡継ぎがないまま代務寺院になったり、男性の僧侶が後を継いで尼僧寺院の伝統が途切れてしまったりしているそうです。代務寺院というのは、他の寺院の住職が兼務して代理住職になるのですが、お寺には人が住まなくなり、そのままさびれてしまう例がたくさんあります。

 地蔵寺はかつて、尾張地方の尼僧寺院のリーダー的なお寺でした、多いとき10人近くの尼僧が修行していたこともあるとか・・・地蔵寺の先代さまが亡くなられてから早いもので四十九日を迎えました。私も師僧のご縁で、「親戚」のような立場でお通夜から参列させていただいていました。

 地蔵寺木曽川の川岸に立ち、美しい庭に囲まれています。葬儀の時は梅が咲き残っていたのに中陰が明けたら、もう藤も散ってしまっていました。季節の移ろいが人生のはかなさのを映しているようで胸に迫るものがありました。

 先代様は、この庭を見ながら何を思っていたのでしょう。朝のお勤めをしながら満州の大地を思い出すこともあったのでしょうか?

 ああ・・・慈雲寺は二代続けて「帰国子女」が住職になっているんですね。今なら、中国語がとても役にたったでしょうに・・・

◎今日の写真は京都の西山にある柳谷観音の石庭です。新緑がとてもさわやかでした。