このブログでは、時々「尼僧として生きることの勧め」のような記事を書いています。年々減少する尼僧寺院ですが、女性が出家を志すときのために、尼僧寺院の存続は欠かせないと思うからです。
尼僧として生きることに「適性」というものがあるとしたら、それは一つだけです。阿弥陀さまのお慈悲で救われている自分を素直に喜び、人にも伝えたいという思いのある人です。それ以外の条件は本質的なものではありません。ですから、まずは良き師に出会って、「ああ、そうだったのか。もう安心していいんだ。」と思える体験ができたら、それで十分です。
しかし、これに加えていくつか、「あれば便利」という適性もあります。これはあくまでも「あれば都合が良い」という程度のことで、本質的には信仰を喜べれば良いのですが・・・以下の項目は思いついた順に書いていきます。重要性の順ではありません。
1)お掃除が好きなこと。
寺はきれいに整えられているもの・・・と考える人が多いので、境内がきれいに整備されているとコミュニティに受け入れてもらいやすいでしょう。部屋の汚れは心の汚れを映す鏡という言葉もあります。落ち着いた環境を整えれば、より人が訪ねてきやすいでしょう。
2)字がきれいなこと。
塔婆を書いたり、白木の位牌に戒名を書いたり、お寺では毛筆で字を書く機会が多いのです。流麗に書ける必要はありません。読みやすく、しっかりした字が書けるのが理想的です。
3)知的好奇心の旺盛なこと
僧侶は日々、仏の教えを学んでいかなければなりません。お釈迦さまの教え、宗派の解釈、そして世界の他の宗教の考え方など、学ばなければならないことはたくさんあります。しっかりと教学を学んでこそ、布教もできるのです。今、世の中でおきていること、人々の日々の苦しみにも、きちんと寄り添えることが大切です。
4)声の良いこと
お経もお説教も、声が良く通り、聞きやすい声できちんと話せることが大事です。
5)容姿に好感が持てること
これは、世間でいう「美人」である必要はありません。内面の安心(あんじん)がにじみ出て、本当の笑顔が自然に出てくるような姿のことです。
6)聞き上手であること
相手の話を十分に聞き、表情など細かい観察のできる人であるのが望ましいでしょう。上から「教えてやる」というような態度は最も僧侶に向いていません。
ほかにもたくさんあるでしょうが、今回はこのへんで・・・「では、お前はどうなんだ?」と自問してみると・・・全項目落第ですね。う~ん・・・でも、そんな私でも楽しそうにしているのですから、尼僧も悪くないと思いませんか?
〇今日の写真はご近所のバラです。ここ数日でご近所のバラが一斉に開いた感じです。