慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

愛犬を見送る : ペットの葬儀について

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 先日、僧侶の友人数人と話をしたとき、ペットの葬儀の話が出ました。その中の一人が、先日、檀家さんの方から「ペットの葬儀をして欲しい。火葬した跡の骨はうちのお墓に入れたい」と言われたのだそうです。

 ペットの葬儀を引き受けるかどうかは、ここ10年ぐらい議論が続いている問題です。「”畜生”の葬儀はしない」と拒絶するお寺もあるし、境内にペット用の火葬場までもうけ、「ペットと一緒に眠れる」を強調したお墓や納骨場を設置しているお寺もあります。

 宗教的な問題はもちろんのことですが、お墓への埋葬は法律で規制されており、人間以外の遺骨を一緒にお墓に入れることは多くの問題を含んでいます。

 ペットの葬儀についての私の考えを述べてみましょう。

 長い間、家族同然に過ごしてきたペットが亡くなったとき、ただ箱に入れて火葬場に持っていくだけでは気持ちがすまない・・・という方も気持ちは良くわかります。特に、ペットの寿命が長くなればなるほど、思いが強くなるのも理解できます。

 ですから、私はペットの見送りに読経をするのは喜んでお引き受けします。家に伺っても良いですし、お寺につれて来てくださっても大丈夫です。

 ただし、仏教では六道輪廻の「畜生」の状況にある動物は、そのままでは成仏はできないと私は理解していますので、そのことをきちんとご説明します。

 全ての生き物には「仏性」という仏の種が宿っています。また、阿弥陀様な全ての生きとし生けるものを救うとお誓いになって、その誓いを成就していらっしゃるのですから、今、「畜生」としての生を終えたものもやがては極楽に行くことになるでしょう。

 しかし、お釈迦さまがお説きになった阿弥陀仏の教えを聞き、念仏を称えることができるのは人間と天上界の天人だけです。だからこそ、今、人間として生まれた私たちは阿弥陀さまとのご縁を結び、それを喜んで念仏することが大切なのです。

 犬や猫として生きたものも、生きているうちに飼い主に癒しを与えるという功徳を積んで行けば、人間として生まれる機会もめぐってくるかもしれません。飼い主の家族が心を込めて供養すれば、その功徳も加えられるでしょう。私の読経が少しでも役に立つなら嬉しいことです。

 そして、愛犬や愛猫を失った悲しみが癒されるなら、それもお寺としての役割でしょう。

 ただし、お墓に一緒に骨を埋めるというのには賛成できません。これはまだ私の中で十分に宗教的な説明が付けられないので、「法規上問題がある」ということで保留しておきたいと思います。

◎今日の写真は安徳天皇がお亡くなりになった関門海峡の風景です。