慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

9月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は9月24日日曜10時より行います。テーマは「彼岸へ至る道の歩み方」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

グリーフケアはお寺の大切な役割の一つ (納骨の時期について Part 1)

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 昨日(5月31日)の中日新聞に興味深い記事が載っていました。病気で家族を亡くした遺族がさまざまな悩みを語りあう「グリーフケア」の活動の記事でした。

 その中で、二年前に夫を亡くした女性が「本当は、まだお骨はそばに置いておきたいんです。」と、お墓にお骨を納めるべきなのかどうか悩みを打ち明けるという記述がありました。

 これを読んで、その女性がまず自分が檀家になっているお寺に相談に行っていないらしいことが、とても気になりました。それとも、彼女はすでにお寺に相談に行っていて、そこの僧侶に早く納骨するように勧められたのでしょうか?遺骨に関することなのに、この方の悩みのケアに僧侶がかかわっていないようなのがとても残念に思えたし、僧侶の側の怠慢とも思えました。

 お骨に対する思いは人によって大きく違います。私が慈雲寺に来て一番驚いたのは、名古屋周辺では、骨壺に納めるお骨は一部だけということです。残りのお骨はまとめて処分されてしまいます。大きな骨壺に全部の骨を入れる習慣の土地もありますから、少し驚いたわけです。

 また最近は、ペンダントなどに小さな骨を入れていつも身に着けている人もいます。そして、その小さな骨以外はいりませんと受け取らない人までいるそうです。お骨を受け取らなければ、遺骨をどこに納めるか心配しなくても良いわけですから、合理的(??)というわけでしょうか?

 私は、お寺や各家のお仏壇、墓地、そしてご遺骨も、「窓」のようなものだと思っています。人はどこにいても亡くなった方を偲ぶことはできますし、お浄土に行かれた方は、こちらから思えば必ず応えて寄り添ってくれます。時間や場所を超えることができるのですね。ですから、どこで亡くなった方を偲んでも良い。

 しかし、人間は心を集中させる「場」があると思いを込めやすくなります。壁を見つめて空を想像するより、窓を開けてその向こうに広がる空を眺めた方が良いのと似ています。

 お寺に来て、本堂でゆったりとお浄土にいる故人を偲ぶのも良いし、お墓をきれいに掃除しながら故人に話しかけても良いし、仏壇をきれいにして僧侶の月参りをお願いするのも良い。「窓」の開き方はそれぞれです。

 遺骨をそばに置いておきたい、離れがたい、お墓に納めたくない・・・という気持ちの奥にあるものをじっくりと話し合える僧侶でありたいと私は思っています。ご自分の旦那寺の和尚様では話しにくいなら、お近くに尼僧寺院はありませんか?尼僧なら話がしやすいということもあるかもしれません。

 もちろん慈雲寺においでいただいても良いですよ。お待ちしています。

◎今日の写真はウズベキスタンの街角で見た壁の模様です。