一昨日の中日新聞に、「夫の遺骨をまだしばらくは自分の近くに置いておきたい」と悩む方の記事が出ていました。その方は、近親者を失った遺族が集う「グリーフケア」のグループで相談していたのです。
遺骨に関わることなのに、僧侶に相談するという選択肢が無かったようなにが残念でなりません。いったいどうしたら、ご遺族の方々のお気持ちに沿うことができるのか、記事を読んでからずっと考えています。
納骨の時期は、四十九日の法要の後でとか、一周忌の法要の後で・・・という法事をきっかけとして行われることが多いようです。自分としては、もうしばらく近くに置いておきたいのに、誰かから「四十九日に納骨するのが正しい」と言われて泣く泣く納骨した・・・という状況で、哀しみが新たになってしまったということがあるのでしょう。こんな時は、ぜひご縁の深い僧侶に相談してみてください。遺骨を「まだ手放したくない」と思う気持ちの奥に何があるのか、ゆっくりと気持ちを聞いてくれる僧侶に出会えればベストです。
私は四十九日の中陰という習慣は、とても良いものだと思っています。今は、葬式が行われた日に初七日も済ましてしまい、途中を抜かして四十九日だけを行う人が多くなっています。しかし、実は七日ごとに近しい人を招き、僧侶を招いて読経をするのは、さまざまな功徳があります。人がやってくると思えば、掃除もしなければならないし、仏壇の花を替え、お供えを整えるなど、いろいろと動かなければなりません。哀しみに沈みがちになってしまうのを抜け出すきっかけになるはずです。人が亡くなった後に起きる、さまざまな事務手続きや片付けなどを助けてもらったり、相談に乗ってもらったりもできるのです。
七日毎に僧侶とゆっくり語らう時間を持ってはいかがでしょう?周囲に他人がいるところではなかなか話がしにくいなら、ぜひお寺にいらしてください。
私は納骨の時期は「気持ちの済むまで」がベストだと思っています。しかし、四十九日、百か日、一周忌など、区切りをつけやすい時を選ぶのは、長い間に培われた生活の知恵だとも思います。
分骨という習慣は以前からあるのですから、小さなな骨片をペンダントなどにいれて手元に置き、大部分はお墓に納めるなどの選択もあります。
◎今日の写真はカナダのバンクーバーのダウンタウンを上空から眺めたところです。手前の森は都市内にある公園としては世界屈指の広さを誇るスタンレー公園です。