慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

「会いたい」という気持ちが起きたときは行動が大事

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 先日亡くなった伯母のことを考えています。父はこの伯母ととても親しかったのですが、東京にいる父も歩くことが難しくなってきたので、なかなか会いにいけません。ですから、私が会いに行って様子を父に知らせてあげたいとずっと思っていました。

 伯母がなくなる、つい数日前にも母と「来月、関西に仕事とに行くのでおばちゃんに会いに行こうと思う」と話していたばかりでした。しかし、私が行動を起こすのが遅かったために、最後に会うチャンスを逃してしまったのです。

 私はもともと僧侶としては恥ずかしいほど「愚図」なので、思いはたくさんあってもなかなか行動に移せません。「部屋の掃除をしなければ・・・」と思いつつ、何か月もグダグダのままとか・・・

 しかし、仏教は「行い」が大切です。観念的なことだけでなく、お釈迦さまがお示しになった、「悪いことをひかえる、良いことをする、他の人々のためにできることをする」という教えを実行することが仏教の基本なのです。ですから、「お見舞いをしたい」と思うだけではなく、実際に会いに行くという「行為」こそが仏教徒の生き方なのです。

 たとえ寝たきりになったとしても、お念仏という「行為」はできるでしょう。人々の平穏な暮らしを願い、供養の念仏を「口で称える」のがお念仏です。

 法然上人が浄土宗の念仏は「観念の念」ではないと教えてくださっているのは、ここがポイントなのです。仏の名を口に「称える」という行動が大事です。

 人の命ははかないものです。「会いたい」という気持ちが起きたときは、まず行動しましょう!実際に会いに行けない事情があるなら(本当はなんとかやりくりして行動を起こすことはできるのでは?)手紙でもメールでも、電話でも・・・・ともかく行動を起こしましょう。

◎今日の写真はカナダのブリティシュ・コロンビア大学のキャンパスで見たバラです。