慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

一つの場所へたどり着く道は一つではない

 

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 北米の平原地帯に住む先住民の言葉に「一つの場所へたどり着く道は一つではない」というのがあります。

 どこまでも続く乾燥地帯・・・そこを貫く一本の舗装道路。次の町へたどり着くには、その道をまっすぐ進む以外にはない・・・と、思ってしまいがちです。しかし、大自然とともに生きてきた先住民の人々は、舗装道路以外のルートがいくつもあることを知っているのです。

 仏教の教えも同じです。一つの道をひたすら進むことも尊い修行ではありますが、それだけにこだわり、執着してしまっては、「一筋の道」も単なる迷いの道になってしまいます。

 舗装された道だけが道ではないし、まっすぐ進むだけが正しいのではありません。ときどきは立ち止まって全体を見渡してみることも大事でしょう。

 お釈迦さまは、仏の教えを説くとき、相手の性質や能力、その人がおかれた状況や社会環境などによって、説き方を変えています。仏教の宗派がこんなにたくさんあるのも、別に不思議ではありません。

 どの教えが「一番」とか「絶対」とか固執するのは仏教の教えからかえって離れてしまいます。一番、自分の心に「ああ、そうかぁ・・・」と腑に落ちる教えと出会えるのが理想です。

 南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀様が「私」のために選んでくださったのだと、ストンと腑に落ちたところから、念仏者の穏やかな日々が始まります。しかし、念仏者は他の道を行こうとする人たちを批判したりはしません。一つの場所にたどり着く道は一つではないからです。

◎今日の写真も慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺の秋景色です。楓の古木が参道の両側から大きく枝を広げ、紅葉のトンネルができることで知られています。

 11月29日に慈雲寺からバスで光明寺へお参りにいきます。紅葉の美しい京都西山へ御一緒しませんか?どなたでも歓迎いたします。会費は一万円(昼食付)です。じうんじまでお早目にご連絡ください。