慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

ご詠歌に聞きほれる

f:id:jiunji:20161119201834j:plain

 ご詠歌は、仏教の教えや功徳、人間の命のはかなさや無常を七五調に詠んだものに旋律を付けて歌うものです。日本では平安時代から伝わる仏教芸能の代表的なものの一つです。

 真言宗臨済宗の寺院ではよく詠われているようですが、慈雲寺の属する浄土宗の西山派(西山浄土宗)にもその伝統が受け継がれています。

 私に出家の機会を与えてくださった最初の師僧である橋本隨暢師は、西山派を代表するお説教師ですが、同時にご詠歌(和讃)の指導者としても知られていました。

 しかし、愚かな私はすぐそばで本格的なご詠歌を聴くチャンスが何度もあったのに、その良さが全くわかりませんでした。もうこれは「愚か」としか言いようがありません。「猫に小判」というのはこのことでした。

 今日、ある法要に出席したのですが、そこで久しぶりにご詠歌を聴きました。その法要は、今年、家族の一人を極楽へ見送った方々が集まって回向をする「初十夜」でした。

 この法要では、人の命のはかなさを説くご詠歌が次々と一人の僧侶によって詠いあげられていきます。

 初めて、本当に初めて、ご詠歌が私の心の中にじんわりと広がっていきました。今までのご詠歌というと、詠唱会のようにたくさんの方々が一緒に詠う場ばかりだったのですが、ソロで詠うというのが新鮮だったのでしょう。

 ご詠歌は、お経と違い、和語で仏教の教えが説かれます。詩ですから、表現も豊かで美しくも哀しい言葉が続きます。

 せっかく橋本師のすぐそばにいたのに・・・今夜は、本当に残念な気持ちで、師僧を偲んでいます。

◎今日の写真は近江八幡八幡山の頂上から眺めた琵琶湖です。八幡山は秀吉に無理やり自害させられた豊臣秀次のお城があったところです。秀次はどんな思いで琵琶湖を眺めていたのでしょうか。