毎週の土曜、日曜の朝7時半から、本堂で英会話の会をしています。「英会話教室」と言えるほどカリキュラムがしっかりしているのではなく、「英語に親しむ」ぐらいな気持ちです。
小学校へ入学前の可愛らしいお子さんから、70代のシニアまで、いろいろな方がいらっしゃるので、私も楽しみにしています。
今日、3月11日は東日本大震災が発生した日から6年になりました。今朝は、英語の会にいらした方々と一緒に短い法要をして、犠牲者の方の菩提を弔わせていただきました。
私は震災が起きて数か月後、仙台の近くの亘理町にご縁がありました。ボランティアというほどのことはできなかったのですが、津波で流されたお寺の墓地に残っていたお骨を集めるお手伝いをしたりしました。
その後、不思議なご縁で、このときの体験を国連の下部組織の主催する会でお話しするためにスペインとイタリアへ行きました。その時は、「自分にできることは、まずこれだ」と勢いこんでいたのですが、今から思うと、もっと別の道もあったのではと忸怩たる思いになることがあります。
被災地の現状は6年たっても「回復」と言える状況ではないでしょう。また、「大地震前」の状況に戻っても、過疎化の問題など、けして「回復」とはならないと思います。
これからも、長期的な計画と支えが必要ですね。森友学園のようなものに膨大な援助金が使われたことを思うと、政府のお金の使い方に疑問がわいてきます。
宗教者として、長きに渡る被災者へのケアの面でお手伝いできることをじっくりと探していかなければと思っています。
今朝、御一緒に読経して下さった方々にも深く感謝いたします。