慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

お彼岸のお説教に“阿鼻叫喚”の京都へ

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 お彼岸はどこの寺院にとっても忙しいとき。お墓にお参りにいらした方々が庫裏に立ち寄って下さったり、いつも静かな慈雲寺も雰囲気が少し変わります。

 さて、今年はこのお彼岸の期間中、京都のお寺で彼岸法要のお説教に呼んでいただきました。私は慈雲寺の「少しお参りがいつもより多め」という状況のことだけ考えて、世間のことをすっかり忘れていたのです。

 そう、世間は三連休!寒さもゆるんで、「そうだ京都行こう!」が大いに盛り上がっていたのです。今日の4時過ぎは東京方面に帰ろうとする人たちで、新幹線のホームはいっぱいでした。子供の泣き声、それを叱る親の声、群衆に呆れる外国人グループの声・・・みやびな京都の雰囲気は残念ながら・・・阿鼻叫喚・・・という感じでした。

 JRの切符売り場には「東京までの指定席は本日最終まで売れきれました」とのサイン。僧侶姿、足元は草履、そして、お説教用の衣や袈裟を入れたトランクやお土産の大きな袋を抱えていましたから、混んだ列車はかなり無理・・・と呆然としてしまいました。ついこの間、年頭に東京へ行こうとして、「新幹線の混雑を甘くみない!」と骨身にしみたばかりだったのに・・・三連休の京都・・・甘く見ていた。

 ところが、幸い、名古屋までなら、わずかに指定席が残っていました。おそらく、名古屋から東京までの指定席を押さえている人が多いということでしょう。

 お説教は、聴きに来てくださる方との雰囲気で、同じ話でも全くリアクションが違います。高座に上がった時点で、状況を判断し、その場の雰囲気に合わせてお話ししていくことが大事です。私はまだまだです・・・

 今日も二ヶ所のお寺で、ほぼ同じお話しをしてのですが、全く受け止めていただく雰囲気が違いました。手ごたえの違いを「味わい」に変えていくのが説教師の力量と、「教えをお伝えしたい」という思いでしょう。

 混んだ車内で、「ああすればよかった・・・」と後悔しきりでした。

◎今日の写真は郡上八幡の街中を流れる美しい湧き水の水路です。いつもは静かな水辺も、きっとこの数日は観光客でいっぱいだったことでしょう。