慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

突然の御喜捨に動揺してしまいました・・・恥ずかしい・・・

f:id:jiunji:20170502111402j:plain

 五月になりました。気持ちの良い初夏の風!

 昨日は岐阜の立政寺という格式の高いお寺に説教師としてお招きいただきました。布教をさせていただくのは、僧侶の修行。どのお寺に呼んでいただいても、同じようにありがたいことです。でも・・・やはり、なんだか誇りに思う気持ちがあったのでしょうね・・・緊張と高揚感がまじりあった不思議な気持ちで電車を待っていました。

 すると、30代ぐらいの男性が近づいてきて、「私も先日得度したんですよ。御供養させてください。」と御喜捨を差し出されました。

 その時の私・・・なんだかとても動揺してしまい、受け取って「ありがとうございます!」と言ってしまいました。

 これは全く間違った御喜捨の受け取り方です。

 御喜捨(お布施)は、修行なのですから、見返りを期待したのでは何にもなりません。私が「ありがとうございます」と言ってしまったら、御喜捨した方は私からの「感謝」という見返りをもらってしまったことになるからです。

 黙って御喜捨を受け取り、軽く頭をさげて合掌。お念仏を十回(お十念)称えるというのが基本的なお作法です。

 僧侶は本来、毎日托鉢をして、御喜捨を集めてお寺を維持していくものです。駅の座雑踏の中で御喜捨いただいたからといって、動揺してしまうのは、普段から托鉢行をおこなっていないからでしょう。う~ん・・・恥ずかしい。

 立派なお寺にお説教に呼ばれたということを誇る私の傲慢に、菩薩様が忠告をしてくださったのかもしれませんね。