慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

父を看取る

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 しばらく、このブログを更新していなかったので、「体調でも悪いのですか?」というメールを友人からいただきました。御心配をおかけしてすみません。

 実は、先週、父が亡くなりました。入院していたのは2週間ほどで、ほぼ最後まで意識があり、私たちの声も聞こえているようでした。喉に絡んだ痰を吸引するときに痛がった他は、痛みもないようで、父が望んだように生涯を終えることができました。

 父は30年前に献体を決めており、「葬儀もしない」という遺言が残されていました。

父は第二次世界大戦の時に、若い下級将校として戦場に行きました。「自分の命令で戦って死んだ人がいる。その人たちをジャングルに置いてきたのに、自分だけ葬式をしてもらうわけにはいかない。」と言っていました。父は最後まで自分を許さなかったのだと思います。

 また、父は歴史が好きで、家族で寺院や神社を訪ねることが多かったのですが、けして手を合わせようとはしませんでした。戦場で「神も仏もあるものか」という体験をしたからかもしれません。

 しかし、私が僧侶になることを決めたときは反対はしませんでした。ここに父の複雑な心境があると思います。

 私は僧侶で、説教師としての道を歩き始めています。自分の父にお念仏の教えを伝えられないことに深い哀しみと敗北感がありました。しかし、父がなくなる前夜、私は一人で父のそばで夜を明かすことができました。その時、耳元で阿弥陀様のお慈悲と救いの願いについて、ゆっくりと話しをすることができました。父の耳に届いたと思いたいです・・・・

 父の死で、私はさまざまなことを体験しました。この体験を十分に消化し、理解するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。しばらく、ブログの更新が間遠になるかもしれませんが、必ず続けますので、またご訪問くださいませ。

◎今日の写真はカナダのBC州北部にあるベア氷河です。