慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

永六輔さんの『大往生』から  (その1)

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「最後を看取ってくれる医者と、葬式をキチンとやってくれる坊主や仲間。これは早めに見つけておくことをおすすめします」永六輔著『大往生』より

 

 書棚を整理していたら、永六輔さんが1994年に出版してベストセラーになった『大往生』という本が出てきました。ちょっとのぞいてみようと思ったら、そのまま座り込んで読み続けてしまいました。

 この本は、おそらくご自身のご尊父の 死をきっかけに、「老い」、「病い」、「死」をテーマに書かれたものです。ちょうどこのころから、高齢化社会の到来が本格化し、それに関連した本がたくさん出版され始めた時期に書かれたものです。

 しかし、この本が他と大きく違っているのは(それゆえにベストセラーとなったのでしょうが)、専門家や有名人が上から教えを説くのではなく、「巷に生きる人たち」の声を永さんが集めたものだということです。

 放送作家で、作詞家としても有名な永さんの「集め方のセンス」の良さが、この本を30年以上たった今も新鮮で多くを気づかせてくれるものとしています。 

 この本に集められているたくさんの含蓄ある言葉は、誰が発したものか示されていません。しかし、冒頭にあげた言葉のように、自分の足で歩んで来た大人の言葉ばかりです。特に「葬式をキチンとやってくれる坊主や仲間」というところが心に残ります。「坊主と仲間」です。家族ではなく仲間。この「仲間」には、仲間のような血縁者も含まれるでしょうが、血でつながっているだけの「家族」ではなく、共に生きる「仲間」が大事なのだと思います。

 「坊主」も大事です。葬式を安上がりにするために葬儀場の会員募集を検討する時間があるなら、ぜひ僧侶とのご縁を育てることに心と時間を使ってください。仏教は生きている間に役に立つ教えです。葬儀はその延長上にあり、さらには極楽に往生(往って新たに生きる)するための道なのですから。

◎今日の写真は、インドの国立博物館で見たお釈迦様です。ハンサム!