慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

永六輔さんの『大往生』から  (その2)

f:id:jiunji:20170802134904j:plain

「お釈迦さまは安らかに大往生ですよね。

 大勢の弟子や、動物にも囲まれて・・・・釈迦涅槃図って、おだやかでいい絵です。

 あんな死に方、いいなと思います。

 比べちゃいけませんけどね、キリストの死に方は痛そうでねェ」

 放送作家・作詞家の永六輔さんが巷の人々の「死」に関する声を集めた『大往生』という本に集められた言葉の一つです。

 ふ~ん・・・釈迦の涅槃図をそう見ますか・・・・

 まあ、お釈迦様本人は穏やかそうですが、それでも亡くなる直前は、足腰が痛いとだいぶ嘆かれていたし、食中毒だったという説もあるので、けっこう大変だと思うけど・・・お釈迦様の周囲の弟子たちは泣きわめいているし、失神しちゃっている弟子もいます。トウリ天にいたお釈迦様の母親は天から薬を持って駆け付けるけど、間に合わないくて、大パニックという姿だし・・・

 そうか・・・こんな風に、仲間に惜しまれて静かに横たわって死んでいくのは、やはり理想的ですね。(その1)でも書きましたが、「大往生」のカギは「仲間」ですね。何歳になっても「仲間」はいます。新しい仲間を増やすこともできます。仲間に送られてお浄土へ行くのが理想ですね。

 慈雲寺では毎月「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行っていますが、ともに学び、信仰をともにする「同朋」、「同行」の仲間がこの講座に集う人々の中から生まれるのが理想です。

 付け加えると、イエスさまの磔の死は確かに血だらけで痛そうですが、人間の罪を変わりに背負ってくださるために、あえて物凄い痛みを負っていらっしゃるのだそうですよ・・・でも、比べるのは失礼かもしれないけれど、法蔵菩薩さまは、生きとし生けるもの全てに代って修行と懺悔を五劫という途轍もない長期にわたってして下さっています。その姿は「五劫思惟」と言われる仏像に表されています。機会があったら、ぜひ拝んでください。

◎今日の写真はインドの国立博物館で見た象眼のお皿です。

 

 

先日書棚を整理していて見つけた、永六輔著『大往生』の中から、特に興味深いと思った言葉です。