慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

仏教は完全な非暴力

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  このところ、連日相撲力士の暴力問題がテレビや新聞に報道されています。なぜか、報道や評論家の論調が、「問題を長引かせているのは、被害者の力士とその親方」という響きなのが気になります。

 この問題が相撲協会内部の権力争いと深く結びついており、貴乃花が「かたくなに」協会の事情聴取を拒否するから、問題が解決しない。お互いにゆずりあって、早く解決すべきだ・・・・と、親切そうに語る評論家などが出ているのが、どうもすっきりしません。

  さらには、「貴ノ岩が先輩に失礼な態度をとったので、日馬富士が制裁した」とまで言う評論家がいたのには、さらに呆れました。

 相撲力士であろうがなんであろうが、聴覚に障害が残ったり、頭蓋骨に損傷が起きたりするほどの暴力が許されて良いわけがありません。

 平手で殴ったのなら「しつけ」で、ビール瓶なら暴力だというわけではありません。人を殴るのは、何であれ暴力です。

  仏教では、あらゆる暴力を否定します。怒りに任せて、暴力をふるっても、何も問題は解決しないし、良き「躾け」になろうはずもないからです。

 さらに、酔ったうえでの暴力なら、なおさら弁解の余地はありません。

 加害者の力士も、それを弁護する協会も、恥ずべき態度で、深い反省が必要です。相撲は神聖な神事であることを忘れてはならないでしょう。相撲は力のぶつかりあいだからこそ、力士は相撲以外でその「力」をふるうべきではないのです。穏やかな、思慮深い人間が、力を発揮するからこそ、神聖さが生まれてくるのですから・・・

 ならず者の集団が、リンチも容認する環境で、土俵に上がっても、本来の相撲の醍醐味は出てこないと思うのです。

 仏教は、怨みで怨みは絶対に解決できない。暴力でもの事を解決することはできないと考えます。

紀伊勝浦のレトロな郵便局。ポストも昔のスタイルだと良かったのに!