慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

エルサレムに「トランプ駅」?! 聖地について思ったこと

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 エルサレムに建設予定の駅に、トランプ大統領の名前をつけようとイスラエル政府が検討中というニュースを今朝のニュースで見ました。米国政府がエルサレムイスラエルの首都として認め、米国大使館を移動しようとしていることを讃えるため(?)でしょうか?

 欧米では駅や空港に顕彰のために名前を付けるのはよくあることです。パリのドゴール空港やニューヨークのケネディ空港のように・・・しかし、この時点でトランプ駅とは・・・問題をさらに深めるだけの、ひたすら愚かな行為です。

 国連の安保理で全ての理事国が反対したのに、アメリカは拒否権を行使。今、ここで火種を大きくするのは、アメリカにとってどんな利益があるのでしょう?利益がなければ、どこから見ても愚かな行動はしないでしょうし・・・いや、単にトランプ氏が愚かで無知なだけ???

 ところで、そのニュースで気になったのは、「ユダヤ教の聖地エルサレム」と紹介されていたことです。エルサレムは、確かにユダヤ教の聖地ですが、キリスト教徒にとっても、イスラム教徒にとっても、他に代えがたい聖地なのです。エルサレムの旧市街には、この三つの宗教に関連した聖なる場所がたくさんあり、全体が世界遺産に指定されていますが、この世界遺産がどの国に属しているかは無記名です。

 聖地は「その場所に宗教的、歴史的、文化的な特別な意味がある」ところです。「その場所」というのが大事なので、誰かの都合や政治的なもので動かして良いわけがありません。しかし、 日本では、その「聖地」に対するこだわりが緩やかなのではないでしょうか?明治時代初めには、国の政治的な意向で、神社の統合が勝手に行われ、その土地と深く結びついてきた名も知れぬ神々の多くが廃棄されたり、別の神社の境内に写されたりしました。神々は、「その場」に鎮まっていることが大事なので、人間の都合で勝手に動かすのは恐れ多いことだと思うのですが・・・

 それはさておき、エルサレムは三つの宗教にとって非常に大事な聖地ですから、どれかの宗教が独占しようとすれば、紛争の火種になるのは当たり前です。一方、この聖地を大切にすることで、穏やかな共存の基盤を作ることもできるかもしれません。

 う~ん・・・一神教は、自分の神以外は絶対に認めないというのが根本姿勢だから難しいかなぁ。そうだとしても、今回のトランプ氏の動きは「聖地」への人々の思いを全く無視していると思います。

 さてさて、もちろん寺院の境内も聖地です。お掃除を頑張らなくてはいけませんね。

◎今日の写真は昨年大府市の盆梅展で見た梅です。慈雲寺の盆梅も蕾が少し膨らんできています。