慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は12月23日(日)10時より行います。テーマは「戒名」です。戒名の本来の意味、理想的な授かり方をご一緒に学んでみましょう。

花替えの日は楽しいが、煩悩も湧いてきます

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 仏前のお花や慈雲寺の歴代住職の墓などに手向けた花を替えるのは、住職としての役目の中で最も楽しいことの一つです。とりわけ花のお供えをいただいた時は、それをどう組み合わせて活けようかと色々考えるのは楽しいことです。

 でも、楽しいだけではなく、よけいな煩悩も湧いてきます。

 例えば、花を活ける喜びの奥底に少し「黒い」思いもあるような気がします。どの枝を切り、どの花を生かすかは、私の思いのまま。少々乱暴に枝を切って行くときに心に湧いてくる、命をもて遊ぶのに似た残酷な喜び(?)のようなものを否定しきれないと思うのです。仏花は枝をたわめたりはしませんが、生け花で無理やり枝を形作るというのも、なんだか「思いのまま」にする傲慢な喜びがある気がします。

 また、もう一つの花替えのたびに湧き上がる煩悩は、「好きな時に好きなだけ花を買い替えられたらいいのに・・・」という物欲です。寒中はお花も長持ちしてくれますが、真夏の日などは数日持たずに花が枯れてしまうことも・・・しかし、今の慈雲寺には、しばしば花を替えるのは贅沢・・・なかなか思うようにいきません。ときおり、「これで阿弥陀様にお花を供えてください」とおっしゃってお布施を上げて下さる方がいたり、「うちの庭に咲いた菊です。」とお寺に持って来て下さる方があったり・・・花のお供えはとりわけ嬉しい。

 僧侶にとって物欲は修行の大きな妨げです。私は子供の時から、あまりものを欲しがったことがありません。車とかブランド品などにも興味がなかったし、家も欲しいと思ったことがありません。まあ、本屋さんでお財布と相談しないで、どんどん買ってみたいという「夢」はありますが・・・

 となると、この花替えのときに湧き上がる物欲・・・これは「私の物欲」ではな「仏様へのお供え」と弁解してみても、「もっと思い切り花を活けたい。頻繁に花替えしたい!」という気持ちは物欲ですよね・・・

 ああ、松の剪定もして欲しいし、坪庭の剪定も・・・あら、欲が止まらなくなりそうなので、このへんでやめておきましょう。

◎今日の写真はカナダのビクトリアで見たシャクナゲです。