阪神・淡路大震災から23年の年月が過ぎました。あの日のことは、強く心に残っています。たまたま新年の里帰りで東京に戻っていた私は、震災の被害が広がっていく痛ましいニュースを見ながら、カナダから「すぐに帰ってこい。仕事が忙しくなるぞ!」という電話を受けていました。
当時、私はカナダの森林産業関係の協会の通訳の仕事をすることがしばしばありました。協会の人々は、この震災で日本からの住宅用木材の買い付けが飛躍的に増えるだろうと考えたのです。私は新聞や最初に出版された写真冊子(震災関連の報道写真を集めた冊子)を抱えて、すぐにカナダへ戻ることになりました。
あの時、僧侶として被災地への救援活動に参加した人もたくさんいました。犠牲者の方々の鎮魂や残された方々の心のケアなど、宗教者としてやるべきことはたくさんあったと思います。
しかし、私の選択は「住宅用の木材を必要としている人たちに、できるだけ早く届けられる手伝いをすることが、私のできることのベストだ」でした。
協会の関係者は、私が持ち帰った写真を精査し、多くのカナダ式のツーバイフォー住宅が地震に耐えたことを確認していました。「耐震を強調することで商売になる!」と喜んだのか、「自分たちが伝えた技術が役に立った。」という純粋な喜びだったのか・・・どちらも正直な気持ちだったと思います。
私は当時、僧侶の資格を得たばかりでした。通訳やライターで走り回るだけで、僧侶として自らを深めようとしてはいませんでした。自分があのとき、本当はどうすべきだったのか・・・犠牲者の方々への御供養の読経をさせていただきながら、心が重くなっていきました。
◎今日の写真は、神戸の長田区になる長田神社の境内です。この地域は神戸市内でも、特に被害が大きかった地域と聞いています。昨年、旅行雑誌の取材でここを訪れました。当時、家を失った人々のために、この神社は信徒会館を開放したと聞いています。
境内には震災に負けることなく、大きく枝を広げた樟がたくさんありました。