慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

和歌山県広川町周辺の寺院でお彼岸のお説教 Part2 (説教師にとっての‟ありがたいこと”)

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 前回に続いて、先週和歌山県でお説教の機会をいただいた時の感想です。

 

 どんな仕事や役割も同じでしょうが、「経験を積む」ということが上達、熟練に欠かせないことです。とりわけ、僧侶が説教師として研鑽を積んでいこうとする時、お説教師として寺院に招かれ、檀信徒の皆さんの前でお話しさせていただく経験は大切です。

 それぞれのお寺で、聴衆の数も年齢も、状況もまちまちです。大きなお寺の本堂がぎっしりになることもありますし、小さなお寺に10人足らずの方がいらっしゃるときもあります。人数が多い時は、隅々にまで話が伝わるように注意しなくてはなりませんし、少人数なら、それぞれの方の反応を細かく考察しながら、説教にアレンジを加えていけるようになるのが説教師の修行と言えるでしょう。

 今回の「巡教」では、大きなお寺から、山奥の小さなお寺まで、さまざまでしたが、皆、熱心に聞いて下さいました。

 説教師が経験を積んでいくとき、一番ありがたいのは、聴衆の皆さんからの反応です。巡教の時の説教師というと、伝統的には「本山から派遣された偉いお坊さん」というイメージが強かったので、感想というと、「本日はありがたいお話しをお聞かせいただいてありがとうございます。」というご挨拶を受けるだけで、実際のことははっきりしないことが多かったのです。

 しかし、私にとっては、褒めていただくのは嬉しいものの、本当は「ここがわかりにくかった」、「ここをもっと掘り下げて欲しかった」、「こんな話が聞きたかった」というような批判的な感想の方がありがたいのです。そういう反省材料こそが、説教師にとっては本当にありがたい「財産」になっていくのです。

 幸い、今回の巡教では、以前から顔なじみのご住職も多く、総代さん方とお食事を共にさせていただく機会も何回かあったので、率直な感想を聞かせていただくことができました。本当にありがとうございました。(つづく)

◎今日の写真も白崎海洋公園の写真です。この岩は石灰岩なので、浸食がとても面白い形に進んでいました。